有賀氏(あるがし)は、諏訪氏庶流で代々諏訪郡有賀郷の地を領していた。有賀城を築いた一族という[1]。現長野県である信濃国諏訪郡有賀郷が起源(ルーツ)であり、諏訪神党(神家一党33氏)として南北朝時代は宗家の諏訪氏ともども南朝方となる。
末裔の有賀勝慶は、武田勝頼の家臣となり、天正10年(1582年)の織田信長の甲州征伐の際に、天目山で勝頼を守って討ち死にした。
注釈
脚注
- ^ 諏訪八勝. 杉田宰治 編 (杉田宰治, 1902)
参考文献
関連項目
外部リンク
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