戎 昱(じゅう いく、735年 - 800年代)は、唐代中期の官僚・漢詩人・能書家[1][2][3]。
生涯
開元23年(735年)、荊州江陵県で生まれる。少年期に安史の乱を経て、至徳元載(756年)に避難して渭州に移住した。その後、進士に合格した。
大暦元年(766年)、戎昱は荊南節度使府に任官し、衛伯玉(中国語版)の幕僚となった。大暦5年(770年)冬、衡州の衡陽・耒陽などを遊歴し、潭州刺史の崔瓘(中国語版)の重さを受けた。大暦11年(776年)に桂州に転任し、桂管防禦観察使の李昌巎の幕僚となり、長安に戻り、御史に仕える。建中4年(783年)から興元元年(784年)にかけて、辰州刺史に転任した。貞元元年(785年)、浙江東道の州刺史に転任した。貞元7年(791年)、虔州刺史に転任した。同年に安南都護に転任した。貞元14年(798年)永州零陵県に住んだ。
脚注
参考文献
- 元朝・辛文房『唐才子伝』巻三:昱、荊南人。
- 『新唐書』芸文志:戎昱集五巻、衛伯玉鎮荊南従事、後為辰虔二州刺史。
- 『唐詩紀事』巻二十八:昱在零陵、於襄陽(于頔)聞有妓善歌、取之。