御所山古墳(ごしょやまこふん)は、福岡県京都郡苅田町大字与原にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。
豊前地方(福岡県東部・大分県北部地域)では石塚山古墳(苅田町富久町)と並び最大級の規模の古墳で、5世紀後半(古墳時代中期後半)頃の築造と推定される。
概要
福岡県東部、周防灘を望む低丘陵上に築造された大型前方後円墳である。2007年度(平成19年度)から2015年度(平成27年度)にかけて発掘調査が実施されている[2]。
墳形は前方後円形で、前方部を北方向に向ける。墳丘長は119メートルを測り、石塚山古墳(苅田町富久町、推定墳丘長約130メートル)と並び豊前地方では最大級の規模になる。墳丘は3段築成。くびれ部の両側には造出が設けられている。また墳丘外表では埴輪・葺石が検出されているほか、墳丘周囲には幅約5メートルの周濠が巡らされている。この周濠は現在も水をたたえ、周濠および周堤を含めた全長は140メートルにもなる。埋葬施設は大型で古式の横穴式石室で、複数人が埋葬された。石室からは、銅鏡(四禽四乳鏡)のほか、東アジアでの交流を物語る馬具などの副葬品が検出されている。
築造時期は、古墳時代中期後半の5世紀後半頃と推定される。苅田町域では、大型古墳として前述の石塚山古墳の築造も見られており、一帯に有力豪族が成長した様子が指摘される[2]。
古墳域は1936年(昭和11年)に国の史跡に指定されている[5]。
遺跡歴
墳丘
墳丘の規模は次の通り。
- 古墳総長:約140メートル - 周堤・周濠を含めた全長。
- 墳丘長:約119メートル
- 後円部 - 3段築成。
- 前方部 - 3段築成。
- 造出
埋葬施設
埋葬施設としては、横穴式石室が使用されている。この石室は後円部に位置し、玄室が長さ4.7メートル・幅3メートルを測る大型なものになる。床面は正方形で、石障によって屍床が分けられており、被葬者は複数人であった。また、石室壁面には赤色顔料が塗られていた。この石室には狭い羨道が接続し、後円部から前方部側へ開口する。
この石室からは、銅鏡(四禽四乳鏡)、勾玉、管玉、ガラス玉、金銅製雲珠などの副葬品が出土している(現在は宮内庁保管)。
文化財
国の史跡
- 御所山古墳 - 1936年(昭和11年)9月3日に指定[5]、2012年(平成24年)9月19日・2020年(令和2年)3月10日・2022年(令和4年)3月15日・2024年(令和6年)10月11日に史跡範囲の追加指定[6][7][8][9]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク