| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "久保菜穂子" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2013年12月) |
久保 菜穂子(くぼ なおこ、本名:久保 忠子(くぼ なおこ)、1932年9月24日 - )は、日本の女優。東京府豊多摩郡代々幡町上原(現東京都渋谷区上原)出身。身長163cm、体重56kg。
来歴
柳生神影流十世であり大日本忠孝館道場館長である久保義八郎の六女として育つ[1]。
山脇学園高等学校卒業。
1951年、新東宝に一期スターレットとして入社。同期には左幸子、天知茂、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた[1]。
若手スターの相手役として清純な色気で人気が出て、池内淳子・三ツ矢歌子と並んで「三羽烏」と呼ばれて人気を得る。スタイルの良さは日本映画界随一とされ、洋装姿が抜群であったという。
1958年、田口哲監督のもと、女賭博師・お竜に扮した『女王蜂』に主演。
続いて女組長・ゆりに扮した石井輝男監督の「女王蜂の怒り」に主演。長身で日本人離れしたスタイル、きりっとした姿勢と演技は後の女性スターや女性任侠映画に大きな影響を与えた。
主演スターの地位を築こうとしていたが、新東宝の経営が苦しくなり、1959年に新東宝を退社[1]。「殺されたスチュワーデス 白か黒か」(大映配給)に主演後、東映に入社。脇に回り年10本以上の映画に出演。1963年にはフリーとなり大映、松竹等で時代劇、現代劇問わず多数の映画に出演。1970年に引退。1977年にTVドラマでカムバック。カムバック後は舞台にも出演した。
2013年4月27日、都内のシネマヴェーラ渋谷で開催された特集「復活!!久保菜穂子」のトークショーに出演。
自身が育った大日本忠孝館道場は、当時東京在住で門下生として通っていた元朝日放送アナウンサーである上田博章の話では、当時は戦時中で大勢の弟子を抱える有名道場だったと振り返っている。
出演
映画
『空港の魔女』(1959年)ロケシーン。画面右から久保、佐伯清(監督)、高倉健。
テレビドラマ
舞台
- 「罠」(PARCO劇場)
- 「お市と三姉妹」
- 小林幸子特別公演
- 女ねずみ小僧 子ノ刻参上
- 女ねずみ小僧異聞 天命(いのち)燃ゆ
- 御存知幸子七変化 お役者小僧・佐渡に現わる
- 御存知幸子七変化 お役者小僧・日光街道を往く(1995年)
- 川中美幸特別公演「江戸版 滝の白糸」
ラジオドラマ
CM
- 大和運輸 クール宅急便「会社の名前篇」、「課長になんか篇」(1990年)[3]
音楽
シングル
- 東京ヤッチャバ娘(作詞:川内康範 / 作曲:利根一郎。1955年1月発売)
- 君ひとすじに(作詞:山口素一 / 作曲:利根一郎。1955年8月発売)
- 港に独り泣く女(作詞:吉川静夫 / 作曲:吉田正。1956年1月発売)
- 白百合の歌(作詞:井田誠一 / 作曲:利根一郎。1956年3月発売)
- ひとり静かに(作詞:山口素一 / 作曲:利根一郎。1956年6月発売)
- 嘆きの女王蜂(作詞:松井由利夫 / 作曲:近江俊郎。1959年1月発売)
- 風は知っている(作詞:松井由利夫 / 作曲:原六朗。1959年3月発売)
- 黒猫マンボ(作詞:松井由利夫 / 作曲:原六朗。1959年5月発売)
- こころの日記帳(作詞:松井由利夫 / 作曲:近江俊郎。1959年5月発売)
- 横顔(作詞:石坂まさを / 作曲:藤原重信。発売日不明)
関連書籍等
- 池谷朗 『「20世紀を輝いた美女たち」スター青春グラフィティ 池谷朗[昔]写真館』 ケイエスエス、1999年8月。ISBN 4-87709-374-5。
- 「美人女優×2」上田博章(絵・文)Tokushima Economy Journal 30〜33ページ
- 令和元年11月28日放送 JRT四国放送フォーカス徳島【剣術「柳生神影流」を受け継ぐ】
- 令和2年1月30日徳島新聞夕刊トップ 令和の世に古武道あり 徳島の剣術「柳生神影流」道場 〜安土桃山以来の伝統継承〜
- 令和2年2月14日発行 月刊秘伝3月号 特集第1章コラム 和道流へ影響を与えた剣の「体捌き」
- 令和2年2月17日発行 徳島新聞朝刊 人(ピープル) NPO法人 徳島県古武道協会 理事長 戸村博史
- 令和2年3月14日発行 月刊秘伝4月号 徳島武術史跡紀行(123ページ) 剣術「柳生神影流」
脚注
関連項目
外部リンク