中川 牧三(なかがわ まきぞう、本名:中川 牧太郎、1902年(明治35年)12月7日 - 2008年(平成20年)3月18日[1])は、日本のテノール歌手。元徳島文理大学音楽学部教授。元くらしき作陽大学音楽学部教授。兄は衆議院議員の中川源一郎。
経歴
京都府京都市中京区出身。同志社大学を中退した後、ベルリン芸術大学、ミラノ音楽院、南カリフォルニア大学音楽学部に学び、声楽をオルガ・カラスロワに、和声を菅原明朗に、指揮を近衛秀麿にそれぞれ師事[2]。
1932年(昭和7年)、日本人歌手として初めてピアチェンツァ歌劇場でデビュー。翌1933年(昭和33年)にはグローマンズ・チャイニーズ・シアターで邦人として初めてリサイタルを開いた[2]。
1935年(昭和10年)に日本に帰国。帰国後は全日本合唱連盟や全日本吹奏楽連盟の創設に携わった。1969年(昭和44年)よりイタリア声楽コンコルソを主宰、審査委員長を務める。
2006年(平成18年)、103歳で日本人として初めてイタリア連帯の星勲章最高位を受けた。また、これまでに徳島文理大学およびくらしき作陽大学で教授を歴任した他、ヴィヴァルディ国際学会の名誉会員を務める。
2008年(平成20年)3月18日、105歳で逝去。逝去後、旭日小綬章が追贈された[2]。
受賞歴
所属学会等
脚注