ワールシュタットの戦い(ドイツ語: Schlacht bei Wahlstatt)またはレグニツァの戦い(モンゴル語: Легницийн тулалдаан; ポーランド語: Bitwa pod Legnicą)は、1241年4月9日にモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍と、ポーランド・ドイツ連合軍が激突した戦いである。
世界的には会戦場であったポーランド西部のレグニツァ(波: Legnica、もしくはリーグニッツ-独: Liegnitz)の地名を用いることが一般的である。ドイツでは「ワールシュタットの戦い」(独: Schlacht bei Wahlstatt)が用いられることもあるが、現代ドイツの歴史でも「リーグニッツの戦い」(独: Schlacht bei Liegnitz)を用いる。「ワールシュタット(Wahlstatt)」とは、中高ドイツ語で「戦場」を意味する。[要出典]
ポーランドの年代記『Polonicae Historiae Corpus』の記述によると、このモンゴル軍を「ペタ」(Péta)なる人物が指揮していたと述べているが、『世界征服者の歴史』や『集史』などモンゴル帝国側の記録から推測してハンガリーに駐留していたバトゥ本人ではなく、遠征軍に参加していた王族のひとりでチャガタイの六男「バイダル」のことと考えられている。この「ペタ」の部隊の一部は前年にポーランド領内に侵入し、ルブリン一帯が劫掠された。
^AllEmpire.com. "The Battle of Liegnitz (Legnica), 1241". Accessed 5 October 2006 and 26 March 2011.
^James Chambers. The Devil's Horsemen: The Mongol Invasion of Europe. Atheneum. New York. 1979. ISBN 0-689-10942-3
^Erik Hildinger. "Mongol Invasions: Battle of Liegnitz". TheHistoryNet.com, originally published Military History magazine, June 1997. Accessed 2 September 2008.