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ワルテル・ホデフロート Walter Godefroot
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基本情報 |
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本名 |
Walter Godefroot ワルテル・ホデフロート |
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愛称 |
フラームス・ブルドッグ |
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生年月日 |
(1943-07-02) 1943年7月2日(81歳) |
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国籍 |
ベルギー |
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選手情報 |
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分野 |
ロードレース |
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特徴 |
クラシックスペシャリスト |
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プロ経歴 |
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1965–1966 1967–1969 1970 1971–1972 1973–1975 1976 –1979 |
ウィールス フランドリア - デ・クレルク サルヴァラニ プジョー フランドリア - カルパンテル アイスブルク |
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監督経歴 |
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1991–2005 2006 2007 |
チーム・テレコム アスタナ・ヴュルト アスタナ |
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主要レース勝利 |
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リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ (1967) ツール・ド・フランス 10勝 ツール・ド・フランス ポイント賞 (1970) ロンド・ファン・フラーンデレン (1968、78) パリ〜ルーベ (1969) ボルドー〜パリ (1969、76) ジロ・デ・イタリア 1勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ 2勝 ベルギー 選手権 (1965、1972) |
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最終更新日 2010年6月30日 |
ワルテル・ホデフロート(Walter Godefroot、1943年7月2日 - )は、ベルギー、ヘント出身の元自転車競技(ロードレース)選手。
アルテュル・デカボーテルの義弟である。
略歴
1964年の東京オリンピック・個人ロードレースで銅メダルを獲得。翌1965年にプロに転向し、ワンデイレースを中心に活躍した。1970年のツール・ド・フランスではポイント賞を獲得。また1975年より、シャンゼリゼ通りがツール・ド・フランスの最終ゴール地点となったが、その最初の勝利者としても名を刻む。1979年に現役を引退。
1991年から2005年まで、チーム・テレコム(以後チーム名を変遷)のチームマネジャーを務め、1996年にビャルヌ・リースを、1997年にヤン・ウルリッヒを、ツール・ド・フランス総合優勝へと導いた。その後、2006年にアスタナ・ヴュルト、2007年にアスタナへと転じて指導者を続けたが、いずれの在籍時代においても、ドーピング問題に巻き込まれた。
1974年、メチルフェニデート陽性により、同年のロンド・ファン・フラーンデレンで順位剥奪となった[1]。
主な戦績
- 1964
- 東京オリンピック・個人ロードレース 3位
- 1965
ベルギー 国内選手権・個人ロードレース 優勝
- 1967
- ツール・ド・フランス 区間1勝(第1)
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 優勝
- 1968
- ツール・ド・フランス
- 区間2勝(第3b、第9)
- ポイント賞部門 2位
- ロンド・ファン・フラーンデレン 優勝
- ヘント〜ウェヴェルヘム 優勝
- パリ〜ツール 2位
- パリ〜ルーベ 3位
- 1969
- ボルドー〜パリ 優勝
- パリ〜ルーベ 優勝
- スヘルデプライス 優勝
- 1970
- ツール・ド・フランス
ポイント賞、区間2勝(第4、5A)
- ジロ・デ・イタリア 区間1勝(第8)
- チューリッヒ選手権 優勝
- ロンド・ファン・フラーンデレン 2位
- 1971
- ツール・ド・フランス 区間1勝(第9)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間2勝(第7、8)
- 1972
ベルギー 国内選手権・個人ロードレース 優勝
- ツール・ド・フランス 区間1勝(第5a)
- 1973
- ツール・ド・フランス 区間2勝(第5、第16a)
- パリ〜ルーベ 2位
- 1974
- ルント・ウム・デン・ヘニンガー=トゥルム 優勝
- チューリッヒ選手権 優勝
- ダンケルク4日間レース 総合優勝
- 1975
- ツール・ド・フランス 区間1勝(第22=シャンゼリゼ通り)
- 1976
- ボルドー〜パリ 優勝
- 1978
- ロンド・ファン・フラーンデレン 優勝
脚注
- ^ FAZ.NET - 2005年4月12日付記事(ドイツ語)
外部リンク