初代ロートン子爵 ロバート・エドワード・キング (英語 : Robert Edward King, 1st Viscount Lorton 、1773年 8月12日 – 1854年 11月20日 )は、イギリス の政治家、貴族。フランス革命戦争 で西インド諸島 のフランス植民地侵攻に参戦した[ 1] 。最終階級は陸軍大将[ 1] 。
生涯
第2代キングストン伯爵ロバート・キング と妻キャロライン(Caroline 、1754年 – 1823年1月13日、リチャード・フィッツジェラルド (英語版 ) の娘[ 2] )の次男として、1773年8月12日にバークリー・スクエア (英語版 ) のヒル・ストリート (英語版 ) で生まれた[ 1] 。1781年から1789年までイートン・カレッジ で教育を受けた後[ 1] 、1789年11月7日にオックスフォード大学 エクセター・カレッジ に入学した[ 3] 。
1792年に陸軍に入り、フランス革命戦争 におけるマルティニーク (英語版 ) 、セントルシア 、グアドループ (英語版 ) 侵攻で戦功を挙げ、グアドループのポワンタピートル で負傷した[ 1] 。1808年に少将、1813年に中将、1830年に大将に昇進した[ 1] 。
本国では1796年から1797年までジェームズタウン選挙区 (英語版 ) の、1798年から1800年までボイル選挙区 (英語版 ) の代表としてアイルランド庶民院 議員を務め、1800年にマンスター復帰不動産管理官 (英語版 ) (Escheator of Munster )に任命される形で議員を辞任した[ 4] 。同年12月29日、アイルランド貴族 であるロスコモン県 におけるボイルのエリス男爵 に叙され、さらに1806年5月28日に同じくアイルランド貴族であるロスコモン県におけるボイルのロートン子爵 に叙された[ 1] 。
1797年夏、妹エリザベスが母方のいとこにあたるヘンリー・ジェラード・フィッツジェラルド(Henry Gerard Fitzgerald )と駆け落ちした[ 5] 。フィッツジェラルドはキングの父である第2代キングストン伯爵がひきとって育てた人物であり、キングは同年10月1日にハイド・パーク でフィッツジェラルドと決闘 した[ 5] 。1日目の決闘は全ての銃弾が外れて決着せず[ 6] 、2人は翌日に決闘を継続することに同意したが、その日のうちに逮捕されて再度の決闘は阻止された[ 5] [ 7] 。その後、フィッツジェラルドはメアリー・エリザベスを追ってミッチェルズタウン (英語版 ) 近くのキルワース (英語版 ) に向かい、12月に到着してそこのイン に宿泊した[ 5] [ 7] 。キングと第2代キングストン伯爵は12月11日にキルワースでフィッツジェラルドに立ち向かい、フィッツジェラルドがキングと取っ組み合うとキングストン伯爵はピストルを取り出して、フィッツジェラルドを射殺した[ 5] [ 7] 。キングと第2代キングストン伯爵は殺人容疑で裁判にかけられたが、キングは1798年4月の裁判で無罪判決を勝ち取り、第2代キングストン伯爵もアイルランド貴族院 での裁判で無罪となった[ 5] 。
1823年よりアイルランド貴族代表議員 を務め、1831年10月7日にロスコモン統監 に任命され、いずれも1854年に死去するまで務めた[ 1] [ 8] 。
1854年11月20日にロスコモン県 ロッキンガム・キャッスル(Rockingham Castle )で死去、24日にボイル (英語版 ) で死去した[ 1] 。息子ロバート (英語版 ) が爵位を継承した[ 1] 。
家族
1799年12月9日、フランシス・パーソンズ(Frances Parsons 、1775年3月31日 – 1841年10月7日、初代ロス伯爵ローレンス・パーソンズ の娘)と結婚[ 1] 、2男5女をもうけた[ 9] 。
出典
^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward ; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1932). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Lindley to Moate) (英語). Vol. 8 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 144.
^ Cokayne, George Edward ; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas , eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 300.
^ Foster, Joseph (1888–1892). "King, Robert Edward" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 2. Oxford: Parker and Co. p. 796. ウィキソース より。
^ "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800" . Ulster Historical Foundation (英語). 2023年10月18日閲覧 。
^ a b c d e f Goodwin, Gordon (1892). "King, Robert (1754-1799)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 31. London: Smith, Elder & Co . pp. 156–157.
^ Geoghegan, Patrick M. (2009). "King, Robert". In McGuire, James; Quinn, James (eds.). Dictionary of Irish Biography (英語). United Kingdom: Cambridge University Press. doi :10.3318/dib.004569.v1 。
^ a b c Carter, Peter (4 October 2007) [2004]. "King, Robert, second earl of Kingston". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/15597 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-" . Institute of Historical Research (英語). 2018年7月23日時点のオリジナル よりアーカイブ。2023年10月18日閲覧 。
^ a b c d e f g Lodge, Edmund , ed. (1872). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (41st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 330.
^ Butler, Alfred T., ed. (1925). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語) (83rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1316.
外部リンク