ロイヤル・ジョージ
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艦歴
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建造
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チャタム工廠 (エドワード・ハント)
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起工
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1784年6月
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進水
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1784年9月16日
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その後
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1822年解体
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性能諸元[1]
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クラス
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100門1等戦列艦
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トン数
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2286bm
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全長
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砲列甲板:190ft (57.9m)
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全幅
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52ft 5.5in(16m)
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深さ
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船倉:22ft 4in(6.8m)
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推進
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帆走(3本マストシップ)
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兵装
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100門: 上砲列:12ポンド(5kg)砲30門 中砲列:24ポンド(11kg)砲28門 下砲列:32ポンド(15kg)砲30門 後甲板:12ポンド(5kg)砲10門 船首楼:12ポンド(5kg)砲2門
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ロイヤル・ジョージ(HMS Royal George)はイギリス海軍の100門1等戦列艦。当初アンパイア(HMS Umpire)という名前で発注されたが、建造前に改名された[2]。
建造
この船は1782年3月25日にアンパイアという名前でチャタム工廠に発注された。しかし、建造作業が始まる前の1783年9月11日にロイヤル・ジョージと改名された[2]。設計はエドワード・ハントによるもので、全く同一の図面によって作られた戦列艦は1790年進水のクイーン・シャーロットのみだった[1]。ロイヤル・ジョージは1788年9月16日に進水した。建造と艤装はニコラス・フィリップスが1790年7月まで担当し、以降はジョン・ネルソンが完遂させた[3]。建造費は51,799ポンド5シリング7ペンスで、加えてチャタム工廠の設備費6,503ポンド8シリング5ペンスとプリマス工廠の設備費10,089ポンド12シリングがかかった[4]。この船は「ロイヤル・ジョージ」という名を襲名する軍艦としては5代目であった。
建造時は42ポンド(19kg)砲を下甲板に搭載していたが、後に32ポンド(15kg)砲に換装された[5]。
艦歴とエピソード
ロイヤル・ジョージはグロワ島の海戦でイギリス艦隊の旗艦を務め、また栄光の6月1日では後衛戦隊を指揮したアレグザンダー・フッド提督の座乗艦として将官旗をかかげた。
1805年7月にはチャタム工廠で再建造が行われた。翌年1806年7月には現役に復帰し、海峡艦隊に配備された。しかし、この年ロイヤル・ジョージがドックを出ていたのは7月の間だけだった。
1807年1月から1811年1月まで、ロイヤル・ジョージは主にカディス港封鎖任務に就いた[3][4]。
1807年3月のイギリスによるアレキサンドリア遠征においてはジョン・ダックワース提督の旗艦となった[6]。
1814年7月に予備艦となり、1822年2月にプリマスで解体された[1]。
脚注
- ^ a b c Lavery, Ships of the Line vol.1, p119.
- ^ a b Lyon, David & Winfield, Rif s. 35
- ^ a b Winfield, Rif 1714-1792 s. 8
- ^ a b Winfield, Rif 1793-1817 s. 3
- ^ Navies and the American Revolution, 1775-1783. Robert Gardiner, ed. Chatham Publishing, 1997, p.92-95. ISBN 1-55750-623-X
- ^ George Thom, Paget & Taylor.
参考文献
- Lavery, Brian (2003) The Ship of the Line - Volume 1: The development of the battlefleet 1650-1850. Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-252-8.
- George Thom. Paget & Taylor Family Tree. Retrieved 9 August 2008.
関連項目