ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン(ドイツ語: Louis Ferdinand von Preußen, 1907年11月9日 - 1994年9月25日)は、プロイセン及びドイツの王族、軍人。ヴィルヘルム2世の孫の一人。息子のルイ・フェルディナントと区別するため「大ルイ・フェルディナント」あるいは「ルイ・フェルディナント1世」とも呼ばれる。
生涯
祖父ヴィルヘルム2世夫妻とルイ・フェルディナント兄弟(1911年)
1907年11月9日、ドイツ皇太子ヴィルヘルムの次男としてポツダムの大理石宮殿(英語版)で生まれる。母はメクレンブルク=シュヴェリーン大公女ツェツィーリエ。11歳の時の1918年の第一次世界大戦敗戦により、ドイツ帝国は崩壊。
第二次世界大戦中は、兄のヴィルヘルムが1940年にフランス戦線で戦死したため、アドルフ・ヒトラーがホーエンツォレルン家の兵役を禁じたこともあり、妻キーラと共に東プロイセンにある王家の土地で生活をしていた。1944年7月20日に起きたヒトラー暗殺未遂事件では、反ヒトラー派の人々(君主主義者が多かった)と面識・交流があったことから、事件直後にゲシュタポから尋問を受けているが、逮捕・起訴されることは無かった。
1951年の父ヴィルヘルム死去に際して、プロイセン王家の家長の座についた。1994年に死去したときは三男のルイ・フェルディナントが事故死していたため、孫のゲオルク・フリードリヒが継いだ。
子女
夫人のキーラ(ロシア大公キリルの次女)の間に4男3女を儲けた。
ルイ・フェルディナント夫妻の日本訪問(1938年9月)