ラグビーフットボールリーグ(Rugby Football League、略称: RFL)は、イングランドにおけるプロラグビーリーグを統括する競技運営団体である[3]。ラグビー・フットボール・リーグという名称は以前はRFLによって運営される主要なリーグ戦のことも指していた。この競技会はスーパーリーグ、チャンピオンシップ、およびリーグ1によって取って代わられた。
イギリスのサセックス公爵ハリー王子がラグビーフットボールリーグのパトロンである[4]。
リーズのレッドホール(Red Hall)が本部である。ラグビーリーグイングランド代表、チャレンジカップ、およびラグビーリーグ・チャンピオンシップス(英語版)を管理・運営する。社会人と年少者の試合はイギリスアマチュアラグビーリーグ協会(英語版)(BARLA)と協力して管理・運営する。ラグビーフットボールリーグはラグビーリーグヨーロッパ連盟(英語版)のメンバーであり、上級正会員としてフランスと共に理事会における拒否権を有する。RFLはコミュニティ委員会の一部であり、委員会にはBARLA、3軍連合(Combined Services)、イングランドスクールラグビーリーグ、および大学ラグビーリーグ(英語版)からの代議員もいる。
RFLは1895年8月に21のラグビーフットボール連合(ラグビー・フットボール・ユニオン、RFU)クラブの代表者によってハダーズフィールドにあるジョージ・ホテル(英語版)での会合で北部ラグビーフットボール連合(ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン、NRFU)として設立された。1922年に名称をラグビーフットボールリーグに変更した[5]。これは海外の姉妹組織オーストラリアン・ラグビー・フットボール・リーグ(英語版)およびニュージーランド・ラグビー・フットボール・リーグ(英語版)に酷似している。
2011年のRFLの売上高は27百万ポンドと報告された[6][7]。
歴史
1895年8月27日火曜日、マンチェスターにおける緊急会合の結果、主要なランカシャーのラグビークラブであったブロートン・レンジャーズ、リー、オールダム、ロッチデール・ホーネッツ、セント・ヘレンズ、ティルズリー、ウォリントン、ウィドネス、ウィガンが、北部連合を結成するヨークシャーの仲間の提案を支持すると宣言した。
2日後の1895年8月29日木曜日、21クラブの代表者らがジョージ・ ホテルで「北部ラグビーフットボール連合」(大抵はノーザン・ユニオンまたはNUと称される)を結成するために会合を開いた。21クラブはラグビーフットボール連合(RFU)からの脱退で合意したが、 デューズベリーはこの決定に従うことができないと感じた。チェシャーのクラブであるストックポートは新組織への研究を要求して会合に電話で参加し、2回目の会合に出席したチェシャーのクラブであるランコーンと共に正式に承認された。翌年からチャレンジカップを初めて開催。1908年、初めてナショナルチームを結成し、オーストラリアとニュージーランドで試合を行った。
創立メンバーの22クラブとそれぞれの創設年を以下の表に示す。
主な大会
出典
外部リンク