ヨランド・ド・バル(Yolande de Bar, 1365年頃 - 1431年7月3日)は、ロレーヌ地方のバル公爵家の公女で、アラゴン王フアン1世の2番目の妻。スペイン語名はビオランテ・デ・バル(Violante de Bar)。
生涯
バル公ロベール1世と、その妻でフランス王ジャン2世の娘であるマリーの間に第8子、次女として生まれた。1380年にアラゴン王ペドロ4世の長男ジローナ公フアンと結婚し、1387年に夫の王位継承に伴い王妃となった。
ヨランドは病気がちの夫のために頻繁に国務を代行し、またアラゴン宮廷にフランス文化を持ち込むなどした。王妃は特にプロヴァンス地方出身のトルバドゥールの才能を発掘することに熱心だった。1395年に夫と死別した後は、同名の娘ヨランダの養育に力を注いだ。
子女
フアン1世との間に7人の子女をもうけたが、成育したのは娘1人だけである。
- ハイメ(1382年 - 1388年)
- ヨランダ(1384年 - 1442年) - 1400年、アンジュー公ルイ2世と結婚
- フェルナンド(1389年)
- アントニア(1391年 - 1392年)
- レオノール(1393年)
- ペドロ(1394年)
- フアナ(1396年)