1883年に半年間ウィーンに留学してロベルト・フックスに師事する。フックスは、器楽曲の分野にまで手を広げるように説得したものの失敗に終わり、ホワイトはあえてその分野を制覇しようとしなかった。研究者のスーザン・フラーが言うように、当時のホワイトの楽曲は、「言葉に対する行き届いた配慮と広がりのある旋律、推進力のあるリズム感覚、あからさまなカデンツの回避」(『新グローヴ音楽大事典』)が特徴的である。このような特色は、バイロンの《もうそぞろ歩きは止しにしよう‘So we'll go no more a-roving’》の曲付け(1888年)に認められる。この歌曲は今なお愛唱されるホワイトの一番の代表作であり、ハーバート・ビーアボーム・トゥリーに献呈されている。シェリーの詩による《僕の心は魔法をかけられた小舟‘My soul is an enchanted boat’》(1882年出版)を、フラーは「最も優れた英語歌曲の一つ」(Fuller, 331)と評している。
その後1890年代にホワイトの作曲様式は発展して変化し、世界旅行で知った音楽の要素を取り入れるようになる。ドイツ・リートの様式を自作において実現させようとますます模索した。バレエ《魅入られた心‘The Enchanted Heart’》は、ロシアのバレエ音楽の影響を示している。さらに、新世紀に入ってからも、作風はいっそう印象主義に近付き、「即興的な動機や、空4度や空5度の反復音型によって」夢見るような曲調を創り出している(Fuller, Grove)。ヴィクトル・ユゴーによる《見えざる横笛‘フランス語: La Flûte Invisible’》やポール・ヴェルレーヌによる《暖炉‘フランス語: Le Foyer’》はその好例である。その他の成功した歌曲に、《夢に来ませ‘Come to me in my dreams’》や、《クピドたちは互いにうな垂れて‘Ye cupids droop each little head’》《その時まで(常に忠実なれ)‘Until (semper fidelis)’》《メアリー・モリスン‘Mary Morison’》《僕の心は魔法をかけられた小舟‘My soul is an enchanted boat’》が挙げられる。
晩年
後半生には2つの回想録を発表している。すなわち、1914年に出版された『友と想い出(Friends and Memories)』と、1932年に出版された『穏やかな老後(My Indian Summer)』である。演奏会を組織して自作の演奏を続けており、多くの後援者や学生、演奏家、擁護者たちの協力で、ホワイトの作品はイギリス音楽の正統として不朽の名声を得た。
1937年に82歳で世を去った。
受容
モード・ヴァレリー・ホワイトの歌曲は、第1次世界大戦前から往年の名歌手によって録音されてきた。中でも、《メアリーに‘To Mary’》は、テノール歌手ベン・デイヴィスによって少なくとも3度録音されている(最初の録音は1903年で、最後は1932年である)。また、最も有名な《もうそぞろ歩きは止しにしよう‘So we'll go no more a-roving’》と《今はまだ居ない‘Absent yet present’》は、当時のテノール歌手の第一人者、ジェルヴェーズ・ケアリー・エルウィスが第1次大戦前に録音した。エルウィスは夫人ともどもホワイトの友人であり、ホワイトは演奏会ではエルウィスの伴奏者を務めた。
参考文献
W. & R. Elwes, Gervase Elwes - The Story of His Life (Grayson and Grayson, London 1935).
S. Fuller, 'Maude Valerie White', in The Pandora guide to women composers : Britain and the United States 1629- present (Pandora, London & San Francisco 1994).