ノーウッドはラトビア人の父ピーター・アレクサンダー・サーニス(英: Peter Alexander Sirnis、ラトビア語: Pēteris Aleksandrs Zirnis)とイギリス人の母ガートルード・ステッドマン・サーニス(英: Gertrude Stedman Sirnis)の間に生まれた。出生名はメリタ・ステッドマン・サーニス(英: Melita Stedman Sirnis)で、生まれたのはボーンマス郊外のポークスダウン(英語版)という町だった。父は製本業を営んでいたが、彼女が6歳の時に亡くなった。父は十月革命に触発されて "The Southern Worker and Labour and Socialist Journal"(南部労働者・労働・社会主義者ジャーナルの意)という新聞を発刊しており、またこの新聞にレーニンやトロツキーの著作を翻訳して掲載していた。母は協力党(英語版)に参加していた[2][6]。イッチェン・セカンダリー・スクール(英語版)に通い、1928年にはスクール・キャプテン(英語版)(生徒会長に相当)になった[7]。その後彼女はサウサンプトン大学でラテン語と論理学を学んだが[2]、1年で中退し、職を求めてロンドンへ移った[8]。
ノーウッドの諜報活動が初めて公にされたのは、KGBの元活動家だったワシリー・ミトロヒンと歴史学者のクリストファー・アンドリューがまとめて出版したミトロヒン文書(英題:"The Mitrokhin Archive: The K.G.B. in Europe and the West"、1999年)でのことだった。ミトロヒンは1992年に亡命し、イギリスの情報機関へトランク6つ分にもなる極秘文書を引き渡した[15]。ノーウッドが共産主義シンパであることはよく知られていたが[2]、1999年に作られた別の報告書では、イギリスの情報機関が彼女の重要性に気付いたのはミトロヒンの亡命後であって、他の調査を守るために、ノーウッドの起訴は見送られることになったと報告されている[16]。ミトロヒン文書の証拠としての信用性について疑問を投げかける者もいる。結局、ノーウッドは起訴されることなく2005年に亡くなった[2]。
ノーウッドは共産主義者であり、スパイ活動によって具体的な見返りを得たことはないと述べている[1]。スパイ活動が曝露された時の声明でノーウッドは、「私のやったことは決してお金を得るためではありません。多大なコストをかけて、普通の人々に食べ物と、彼らが余裕を持って暮らせるだけの賃金と、良い教育と公共医療を与えようという新しいシステムが打破されないよう手助けしたのです」とした[15]。彼女は「自分の国に背いてスパイ活動することには賛成しない」としつつも、自分の行動によって「ロシアがイギリスやアメリカ、ドイツと肩を並べる手助け」になったならと考えていた[15]。2014年、ミトロヒン文書から新たに見つかった文書により、ノーウッドの活動は、ケンブリッジ・ファイヴ以上に KGB に有益だった可能性が示唆された[17]。
^Bernstein, Jeremy (2019年5月10日). “Incredible Untrue Events”. London Review of Books. 2020年8月13日閲覧。 “In real life, Norwood was (until 1943) the secretary to G.L. Bailey, the head of a department at BNFRA who was on an advisory committee to Tube Alloys. But he had been warned about Norwood’s political associations and was careful not to reveal anything to her.”
^ abcdHoge, Warren (1999年9月13日). “The Great-Grandmother Comes In From the Cold”. ニューヨーク・タイムズ. https://www.nytimes.com/1999/09/13/world/the-great-grandmother-comes-in-from-the-cold.html2019年5月15日閲覧. "I did what I did not to make money but to help prevent the defeat of a new system which had, at great cost, given ordinary people food and fares which they could afford, a good education and a health service, she read in a firm voice. Explaining her motive, Mrs. Norwood said, I thought perhaps what I had access to might be useful in helping Russia to keep abreast of Britain, America and Germany. She added, In general, I do not agree with spying against one's country."