この項目では、ギリシャの古代都市および現代の自治体について説明しています。その他の用法については「メガラ (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
メガラ (Μέγαρα / Mégara )は、古代ギリシャ のアッティカ 西部・メガリスにあった都市国家。メガラーとも表記される。メガラ人が築いた植民市 の中には、ビュザンティオン (現在のイスタンブール )がある。
現代のメガラ (Μέγαρα / Mégara )は、ギリシャ共和国 アッティカ 地方にある都市・基礎自治体(ディモス)の名でもある。
地理
位置・広がり
メガラは西アッティカ県の南西部に所在し、アテネから西北西へ約42kmの距離に位置する。コリントス地峡 北東部のサロニコス湾 側(南岸)、メガリス平野 (Megaris ) 南部に所在し、サロニコス湾 にほど近い。とくにメガラ前面の南の海をメガラ湾ともいう。古代のメガラは一時期サラミス島を支配したが、アテネ(アテナイ )とはサラミス島 を挟んで反対側に位置する。
自治体としてのメガラ市の領域は、コリントス地峡を形作る海の双方(南東のサロニコス湾 、北西のコリンティアコス湾 )に面している。
地勢
メガリス平野 (Megaris ) が広がる。
主要な都市・集落
人口1000人以上の都市・集落には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。
歴史
古代
メガラの遺跡から出土した金細工品
歴史時代の初期、メガラはコリントス の属領であった。メガラからの植民者たちは、シチリア島 のシュラクサイ の北にメガラ・ヒュブラエア (現在のシラクーザ県 アウグスタ )という都市を築いた。メガラ人たちはコリントスからの独立戦争を戦い、紀元前685年 頃にはカルケドン 、紀元前667年 頃にはビュザンティオン を建設した。
紀元前7世紀の終わり、テアゲネス (Theagenes of Megara ) はメガラの僭主となった。テアゲネスは、富裕者の家畜を屠殺することによって貧困層の支持を得たという。ペルシャの第二次侵攻(ペルシャ戦争 )において、メガラはアテナイやスパルタと同じ陣営につき、サラミスの海戦 やプラタイアの戦い などの重要な戦闘に従った。
紀元前460年ごろ、スパルタが牛耳るペロポネソス同盟 からメガラは離反するが、このことは第一次ペロポネソス戦争 (紀元前460年 - 紀元前445年 )のきっかけとなった。「30年不戦条約」(紀元前446年 あるいは紀元前445年 )を契機として、メガラはペロポネソス同盟に復帰した。ペロポネソス戦争 (紀元前431年 - 紀元前404年 )では、メガラはスパルタの同盟者であった。メガラとアテナイの経済を巡るいくつかのできごと(アテナイが支配下の領域でメガラ人の商業活動を禁じたことなど)は、ペロポネソス戦争の原因の一つと考えられている。
メガラは貿易の拠点でもあり、地元住民は船を利用したり、近隣のポリス への武器提供を行っていた。メガラにある2つの港のうち、西側のペガイ はコリンティアコス湾 にあり、東側のニサイア はエーゲ海のサロニコス湾 にあった。
古代メガラの植民市
メガラ人の築いた植民市には、以下のようなものがある。
現代
農業地帯であったが、1960年代から1970年代にかけて住宅地の開発が進んだ。
行政区画
基礎自治体(ディモス)
メガラ市 (Δήμος Μεγαρέων )は、西アッティカ県 に属する基礎自治体 (ディモス )の一つである。
現在のメガラ市は、カリクラティス改革(2011年1月施行)にともない、旧メガラ市とネア・ペラモス市が合併して発足した。旧自治体は、新自治体を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。なお、カリクラティス改革以前の旧メガラ市は、アッティカ地方最大の面積を持つ自治体であった。
下表の番号は、下に掲げた「旧自治体」地図の番号に相当する。面積の単位はkm²、人口は2001年国勢調査時点。
西アッティカ県の旧自治体(2010年まで)
旧メガラ市(1999年 - 2010年)
メガラ市(2011年から)
交通
アテネとペロポネソス半島を結ぶ交通路が市内を通過している。
文化・観光
ギリシア神話の中のメガラ
ギリシャ神話 によれば、アテーナイ王パンディーオーン は、内乱が発生した際にメガラーに亡命した。メガラー王ピュラースの娘ピュリアーと結婚し、のちにピュラースから国を譲られてメガラーを支配した。パンディーオンはメガラーで没したが、その後パンディーオンの4人の息子たち(アイゲウス 、パラース 、ニーソス (英語版 ) 、リュコス )がアテーナイを奪回し、アッティカを4人で分割した。メガラーを支配することになったのはニーソス(ニューソスとも)である。ニーソスには3人の娘がおり、長女エウリュノメー は海神ポセイドーン との間に英雄ベレロポーン を生んだとされる。次女イーピノエー はメガレウス (Megareus of Onchestus ) の妻となった。
クレータ の王ミーノース がアテーナイとメガラに戦争を仕掛けたとき、ニーソスの末娘のスキュラ は、敵将のミーノース王に恋をし、父と祖国を裏切ったものの、その行為を嫌悪したミーノースは彼女を拒絶したと伝えられている。
人物
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
メガラ に関連するカテゴリがあります。