ミュンヘン美術院(ミュンヘンびじゅついん、独: Akademie der Bildenden Künste München、英: Academy of Fine Arts, Munich)は、ドイツの最も古い、また最も重要な美術院の一つである。1808年にバイエルン王国のマクシミリアン1世によって設立された。
ミュンヘンに美術学校が作られたのは18世紀で、1770年以前にバイエルン選帝侯、マクシミリアン3世ヨーゼフが、絵画学校を作っており、名称は"Zeichnungs Schule respective Maler und Bildhauer academie"としていた。1808年バイエルン王、マクシミリアン1世が王立美術院(Königliche Akademie der Bildenden Künste)を設立し、校長には、デュッセルドルフ美術アカデミーの校長であったヨハン・ペーター・フォン・ランガー(Johann Peter von Langer)を迎え、事務局長には有名な哲学者、フリードリヒ・シェリングが務めた。1824年にペーター・フォン・コルネリウスが校長を継ぎ、1868年にはミュンヘン王立工芸学校(Königliche Kunstgewerbeschule München)も設立された。美術家の養成機関としての役割に加えて、画家の協会としての役割が生まれ、マックス・ヨゼフ・ヴァーゲンバウアーといったミュンヘン地域で活動する第一世代の風景画家たちによって「ミュンヘン派」と呼ばれる画家集団が作られることになった。