ミッドナイトプレスクラブ

竹村健一のミッドナイトプレスクラブ
ジャンル 報道番組教養番組インタビュー
放送方式 収録
放送期間 1974年10月8日 - 1980年10月4日
放送時間 火-土曜0:00 - 0:10
(10分)
放送局 東京放送ラジオ局(現・TBSラジオ
制作 東京放送報道部
パーソナリティ 竹村健一(評論家)
出演 ゲスト(1週間交代)
テーマ曲 Why(歌・演奏:オシビサ
提供 オリベッティタイプライター
特記事項:
1974.10-1976.3=ラジオでこんばんわ
1976.4-1977.9=5スイート・キャッツ
それぞれフロート番組として内包
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竹村健一のミッドナイトプレスクラブは、1974年10月8日から1980年10月4日までにTBSラジオで放送された報道教養トーク番組[1]。正式な題名は「ミッドナイトプレスクラブ」であるが、オリベッティタイプライター協賛であったため、冒頭のタイトルでは「ミッドナイト・オリベッティ・プレスクラブ」とアナウンスされていた。

概要

竹村健一がパーソナリティーを務め、日付が変わってすぐの月曜から金曜の深夜(火曜から土曜の未明)24時から放送された10分番組(最初の1年半=1976年3月までは「ラジオでこんばんわ」に、1976年4月から1977年9月までは、「5スイート・キャッツ」にそれぞれ内包)。

番組は毎回、冒頭に英語で「日本の常識は世界の非常識である。それを皆さんに紹介するために番組をお届けする」と述べて、世界の著名なジャーナリストや要人にインタビューしていた。その中にはピーター・ドラッカー金大中リチャード・バックウォルター・クロンカイトらもいた。彼らにインタビューするために国際電話をつないだり、あるいは竹村が自ら海外に取材に赴いてインタビューしたこともある。

テーマ曲はオシビサ「Why」。

番組終了の半年後の1981年4月からは文化放送で「竹村健一のプレス&ピープル」(0:00 - 0:10)という本番組と類似した内容が放送された[2]

脚注

  1. ^ 東京放送 編『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、171頁。 
  2. ^ ラジオライフ』第2巻第5号、三才ブックス、1981年7月1日、20頁。 

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