ミキ・ロケ(Miki Roqué)ことミゲル・ロケ・ファレーロ(Miguel Roqué Farrero、1988年7月8日 – 2012年6月24日)は、スペイン・トレム出身のサッカー選手。本来のポジションはディフェンダー(センターバック)だが、守備的ミッドフィールダーとしてもプレーできた。
経歴
18歳の誕生日を迎える前にイングランドのリヴァプールFCと契約。2007年から2009年にかけて同国のオールダム・アスレティックAFC、スペインのヘレスCDやFCカルタヘナにレンタル移籍した。2009年にスペインに戻り、セグンダ・ディビシオン(2部)のレアル・ベティスに完全移籍した。23歳だった2012年6月、骨盤の悪性腫瘍により死去した[1]。
リヴァプール
カタルーニャ州・リェイダ県・トレム出身であり、地元のUEリェイダの下部組織に所属していたが、17歳の時にスペイン人のラファエル・ベニテス監督が率いるイングランドのリヴァプールFCと契約した[2]。2006年のFAユースカップ決勝・マンチェスター・シティFC戦ではファーストレグ・セカンドレグともに途中出場した。2006年12月5日、2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーググループリーグ・ガラタサライSK戦(2-3)では、同じスペイン人のシャビ・アロンソとの交代で途中出場してトップチームデビューを果たした[3]。2006-07シーズン後半戦はフットボールリーグ1(実質3部)のオールダム・アスレティックAFCにレンタル移籍したが[4]、出場機会は稀であった。その後の2年間も困難な状況が続き、2007-08シーズンは母国のセグンダ・ディビシオン(2部)・ヘレスCDにレンタル移籍したもののリーグ戦の出場は1試合に終わった。2008-09シーズンはセグンダ・ディビシオンB(実質3部)のFCカルタヘナにレンタル移籍し、30試合に出場してセグンダ・ディビシオン昇格に貢献した[5]。
ベティス
2009年7月、スペインに戻ってセグンダ・ディビシオン(2部)のレアル・ベティスと契約し、Bチームに加わった[6]。2010-11シーズンはトップチームの選手となり、12試合に出場(うち10試合は先発出場)して2年ぶりのプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に貢献した。
病気の発覚と死去
2011年3月5日、背中の問題のために定期的な健診を受けたが、骨盤の悪性腫瘍と診断された[7][8][9]。5月には6時間にもおよぶ悪性腫瘍部分の切除手術を受けたが、この病気の手術には保険が適用されなかったため、クラブとサポーターはホワイトリストバンドを販売し、その売上金を手術費用に充てることでミキ・ロケをサポートした[10][11]。24歳の誕生日を2週間後に控えた2012年6月24日、1年の闘病生活の後にバルセロナの病院で死去した[12][1][13]。彼の死はUEFA EURO 2012に出場中のスペイン代表選手にも伝わり、Twitterでは多くの追悼ツイートがなされた[14]。7月2日、ベティスはミキ・ロケが最後につけていた背番号26を永久欠番とすると発表した[15]。
脚注
外部リンク