ポーズコート子爵 Viscount Powerscourt
紋章記述
Arms :Argent on a Bend Gules three Pairs of Wings conjoined in lure of the field Crest :A Demi Eagle wings displayed Argent gazing on the Sun proper Supporters :On either side a Pegasus Argent maned hoofed and wings addorsed Or
創設時期 1743年 2月4日 創設者 ジョージ2世 貴族 アイルランド貴族 初代 初代子爵リチャード・ウィンフィールド 現所有者 11代子爵マーヴィン・ウィンフィールド 付随称号 ウィンフィールド男爵 ポーズコート男爵(UK ) 現況 存続 モットー 忠誠は神に由来す (Fidelité est de Dieu)
ポーズコート子爵 (英 : Viscount Powerscourt , ,PORZ -kort )は、イギリスの子爵 、貴族 。アイルランド貴族 爵位。過去に3度創設されており、いずれもウィンフィールド家に対する叙爵である。
歴史
第1期(1618年)
一族の旧邸宅であるポーズコートハウス ウィンフィールド家の祖サー・リチャード・ウィンフィールド (英語版 ) (1550-1634) はサフォーク 出身の軍人で、16世紀後半にアイルランド島 に渡ったのち定住した。彼は1618年 にアイルランド貴族 としてポーズコート子爵 (Viscount Powerscourt) に叙せられた。これがウィンフィールド家に対する初の叙爵例であったが、彼には子がなかったため、同人の死を以て、爵位は廃絶した。
第2期(1665年)
ウィックロー選挙区 (英語版 ) 選出のアイルランド庶民院 議員を務めたフォリオット・ウィンフィールド (英語版 ) (1642-1717) は、1665年 にアイルランド貴族 爵位のポーズコート子爵 (Viscount Powerscourt) に叙されて貴族院に転じた[ 4] 。彼にも男子がなかったため、爵位は再び廃絶した[ 4] 。
第3期(1743年)
2代子爵エドワード リチャード・ウィンフィールド (1697-1751) は、1743年 にアイルランド貴族としてウィックロー県ポーズコートのポーズコート子爵 (Viscount Powerscourt, of Powerscourt in the County of Wicklow) およびウェックスフォード県ウィンフィールドのウィンフィールド男爵 (Baron Wingfield, of Wingfield in the County of Wexford) に叙せられた。彼ののちはその息子エドワードが爵位を襲った[ 5] [ 6] 。
2代子爵エドワード (1729-1764) は襲爵後に、ストックブリッジ選挙区 (英語版 ) 選出の庶民院 議員を務めた[ 5] 。彼は未婚のまま死去したため、爵位は弟リチャード が相続した。以降、現在に至るまで彼の男系子孫によってポーズコート子爵位は継承され続けている[ 5] 。
4代子爵リチャード(1762-1809) は、グレートブリテン王国 とアイルランド王国 との合併を図る合同法 に反対する急先鋒であったという[ 5] 。
その息子である5代子爵リチャード(1790-1823) は1821年から1823年にかけてアイルランド貴族代表議員 を務めた。また彼の代に、ジョージ4世 が一族の邸宅であるポーズコート・ハウス を訪れている[ 5] [ 7] 。
その孫にあたる7代子爵マーヴィン (1836-1904) は貴族代表議員や枢密顧問官 を歴任したほか、1885年に連合王国貴族 としてウィックロー県ポーズコートのポーズコート男爵 (Baron Powerscourt, of Powerscourt in the County of Wicklow) に叙された。そのため、以降の歴代当主は1999年 の貴族院改革 まで貴族院 に対して自動的に議席を得ることとなった[ 5] [ 6] [ 8] 。
その子の8代子爵マーヴィン (1880-1947) はウィックロー統監 を務めた人物で[ 9] 、1922年のアイルランド自由国 成立以降も同国で活躍、1932年12月にはロイヤル・ダブリン・ソサエティ (英語版 ) 会長に選出された[ 10] 。
一族のかつての邸宅は、ウィックロー県 エニスケリー 近郊のポーズコート・ハウス 。
現当主の保有爵位
現当主である第11代ポーズコート子爵マーヴィン・アンソニー・ウィンフィールド は、以下の爵位を有する[ 5] 。
第11代ウィックロー県ポーズコートのポーズコート子爵 (11th Viscount Powerscourt, of Powerscourt in the County of Wicklow) (1743年 2月4日 の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
第11代ウェックスフォード県ウィンフィールドのウィンフィールド男爵 (11th Baron Wingfield, of Wingfield in the County of Wexford) (1743年2月4日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
第5代ウィックロー県ポーズコートのポーズコート男爵 (5th Baron Powerscourt, of Powerscourt in the County of Wicklow) (1885年 6月27日 の勅許状による連合王国貴族 爵位)
一覧
ポーズコート子爵(第1期:1618年)
ポーズコート子爵(第2期:1665年)
ポーズコート子爵(第3期:1743年)
爵位の推定相続人 は、現当主の遠戚[ 註釈 1] リチャード・デイヴィッド・ウィンフィールド(1966–)。
ポーズコート男爵位(1885年 創設の連合王国貴族 爵位)には現在、法定推定相続人 も推定相続人もいない。
家系図
脚注
註釈
^ 4代子爵の三男エドワード(1792-1874)の来孫にあたる。
出典
^ a b The Gentleman's and London Magazine: Or Monthly Chronologer, 1741-1794 (J. Exshaw., 1741), pp. 299–300. Retrieved 5 October 2016.
^ a b c d e f g “Powerscourt, Viscount (I, 1743) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2019年12月23日 閲覧。
^ a b Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc . Wellesley College Library. London, Dean. (1921). https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse
^ New Gallery (London, England) (1901). The monarchs of Great Britain and Ireland : Winter Exhibition, the New Gallery, 1901-2 . Getty Research Institute. [London : The Gallery]. https://archive.org/details/monarchsofgreatb00newg
^ "No. 25486" . The London Gazette (英語). 3 July 1885. p. 3060.
^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-" . Institute of Historical Research (英語). 2018年7月23日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年10月21日閲覧 。
^ O'Brien, Maria. "Wingfield, Mervyn Edward". Dictionary of Irish Biography (英語). doi :10.3318/dib.009090.v1 . Cambridge University Pressより。
参考文献
主な執筆者名の姓のABC順。
外部リンク