ペトロパヴロフスク要塞(ペトロパヴロフスクようさい、ロシア語:Петропа́вловская кре́постьピトラパーヴラフスカヤ・クリェーパスチ)は、ロシア、サンクトペテルブルクの要塞である。名称は、ロシア語で「ペトロとパウロの要塞」という意味で、ペトロ・パウロ要塞、あるいはペトロ・パヴロ要塞とも表記される。
正式名称はサンクトペテルブルク要塞(Санкт-Петербургская крепостьサンクトピチルブールクスカヤ・クリェーパスチ)。1914年から1917年にかけては都市の名称が「ペトログラード」であったため、要塞もペトログラード要塞(Петроградская крепостьピトラグラーツカヤ・クリェーパスチ)と称した。
概要
1700年に始まった大北方戦争の過程でスウェーデンから土地を防衛するためにピョートル1世の命令で建設された。星型要塞の理論に基づいて設計され、河口付近のザーヤチ島の形状を生かして構築された。
要塞の中央に首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ペトロパヴロフスキー大聖堂)があり、ピョートル1世が葬られている。大聖堂はロシアの歴代皇帝の埋葬地となり、帝政ロシア時代は最も神聖な場所とされた。
1872年、南西のバスチョン(城壁の突出し部)に監獄が建設され、1917年まで政治犯収容所として利用された。一時はバクーニンやネチャーエフ、ドストエフスキー、レーニンらも収容された[1]。ロシア革命後には、失脚したロシア帝国議会議員や臨時政府の閣僚らも収容された(一部は脱走に成功したが、残った人々は獄死・処刑された)。
現在は要塞の西端に造幣局が立地しているが、それ以外の建物は観光客に開放されており、金箔を用いた豪華なバロック様式の大聖堂などを見学できる。
歴史
アクセス
脚注
関連項目
外部リンク