プリンス・ロイヤル HMS Prince Royal
基本情報 建造所
ウリッジ工廠 運用者
イングランド海軍 級名
55門ロイヤル・シップ(建造時) 70門艦(1641年再建造時) 92門1等 戦列艦 (1663年再建造時) 艦歴 発注
1607年11月 起工
1608年10月20日 進水
1610年7月25日 最期
1666年6月13日、オランダに焼却される 改名
プリンス・ロイヤル(建造時) レゾリューション(共和制時) プリンス・ロイヤル(王政復古時) 要目 トン数
1,200 トン(建造時) 1,187 トン(1641年再建造時) 1,432 トン(1663年再建造時) 長さ
竜骨 115フィート (35 m )(建造時) 竜骨 132フィート (40 m)(1663年再建造時) 幅
43フィート 6インチ (13.26 m )(建造時) 45フィート2インチ (13.77 m)(1663年再建造時) 吃水
18フィート (5.5 m)(建造時) 18フィート10インチ (5.74 m)(1663年再建造時) 帆装
3本マストシップ 兵装
各種口径の砲55門(建造時) 各種口径の砲70門(1641年再建造時) 各種口径の砲92門(1663年再建造時) その他
出典:建造時[ 1] 、1641年再建造時[ 2] 、1663年再建造時[ 3] テンプレートを表示
プリンス・ロイヤル (The Prince Royal ) はイングランド海軍 の55門ロイヤル・シップ。
艦形
フィニアス・ペット1世 (英語版 ) にのよってウリッジ工廠 で建造され1610年 に進水した[ 1] 。1611年の復活祭からミカエル祭の間に船体にはセバスチャン・ヴィカースによる彫刻、ロバート・ピーク (英語版 ) による絵画、ポール・イサクソンによる金メッキの装飾が施された[ 4] 。イングランド王太子 ヘンリー・フレデリック は従兄弟のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公 フリードリヒ・ウルリヒ を伴って建造中の船を見学に訪れている[ 5] 。
「プリンス・ロイヤル」は3層の砲甲板を持った最初の戦列艦 であったが、完成当初は上甲板中部には砲は装備されておらず、また甲板は船体中央から船尾側と船首側に大きな段差があり、さらに船尾にはもう1段の段差が設けられていた。1621年の改装でこの段差は無くなり、各甲板の砲の高さが均一になった。
艦歴
1613年、イングランド王女エリザベス・ステュアート はプファルツ選帝侯 フリードリヒ5世 に嫁ぐ際、「プリンス・ロイヤル」に乗ってマーゲイト からオーステンデ まで渡海した[ 6] 。
1639年 から1641年 にかけて、「プリンス・ロイヤル」はウリッジでピーター・ペット (英語版 ) の手により70門艦 に再建造される[ 2] 。イングランド共和国 時代には「レゾリューション 」(Resolution )と改名され、第一次英蘭戦争 のほとんどの海戦に参加した。「レゾリューション」は1660年 までに80門艦に改装されていた。王政復古 とともに「プリンス・ロイヤル」に艦名を戻した。1663年 にはウリッジ工廠でフィニアス・ペット2世 により92門1等艦として再建造された[ 3] 。
4日海戦中の1666年6月3日に降伏するプリンス・ロイヤル(ウィレム・ファン・デ・フェルデ (子) による絵画)
第二次英蘭戦争 中の1665年 、「プリンス・ロイヤル」はサンドウィッチ伯爵エドワード・モンタギュー の旗艦として7月3日のローストフトの海戦 に参加した。翌1666年 、ジョージ・アイスキュー (英語版 ) 中将の旗艦として4日間の海戦 (英語版 ) に参加し、その3日目(当時のイングランドで使われていたユリウス暦 で6月3日)にギャロパー砂洲で座礁した。船がオランダ の火船 に囲まれると乗員はパニックに陥り、エイスキューは「ゴーダ」号のコルネリス・トロンプ (英語版 ) 提督への降伏を強いられた。オランダ軍は「プリンス・ロイヤル」を離礁させることに成功したが、船の舵が完全に壊れていることが判明した。オランダのミヒール・デ・ロイテル 提督は捕獲船は奪還を防ぐために焼却するというオランダ議会 の方針に則り、「プリンス・ロイヤル」を焼却処分した。
脚注
注釈
出典
^ a b Lavery, Ships of the Line vol.1, p158.
^ a b Lavery, Ships of the Line vol.1, p159.
^ a b Lavery, Ships of the Line vol.1, p161.
^ Perrin, W. G., The Autobiography of Phineas Petit (NRS, 1918) , p.77, Appendix v., pp. 207–210, painting & carving account.
^ Henry Ellis , Original Letters Illustrative of English History , 3rd Series, vol. 4 (London, 1846), p. 167.
^ Mary Anne Everett Green and S. C. Lomas, Elizabeth, Electress Palatine and Queen of Bohemia (London, 1909), pp. 66-7.
参考文献
Lavery, Brian (2003) The Ship of the Line - Volume 1: The development of the battlefleet 1650-1850. Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-252-8 .
Winfield, Rif (2009) British Warships in the Age of Sail 1603–1714: Design, Construction, Careers and Fates. Seaforth Publishing. ISBN 978-1-84832-040-6 .
関連項目