フリードリヒ2世(ドイツ語: Friedrich II.、1717年11月9日 - 1785年4月24日)は、神聖ローマ帝国の領邦国家であるメクレンブルク=シュヴェリーン公国の君主(在位:1756年 - 1785年)[1]。
生涯
メクレンブルク=シュヴェリーン公クリスティアン・ルートヴィヒ2世とグスタフェ・カロリーネ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ(英語版)の長男として、シュヴェリーンで生まれた[1]。若い頃は知的と霊的教育の両方で大おばのアウグスタ・フォン・メクレンブルク=シュヴェリーンの影響を受け、特に敬虔主義を深く信奉するようになった。
父が1756年に死去すると、フリードリヒ2世はメクレンブルク=シュヴェリーン公位を継承した[1]。継承直後には七年戦争に巻き込まれた。敬虔主義を支援したフリードリヒ2世は学校教育と織物業を推進、酷刑を廃止した。1764年に住居をシュヴェリーンからルートヴィヒスルスト城(英語版)に移した。翌1765年に建築家ヨハン・ヨアヒム・ブッシュ(Johann Joachim Busch)に帝国教会(1770年に完成、現存する)の建造を命じ、1772年から1776年までルートヴィヒスルスト城の拡張工事を続けた。
1785年に死去した。息子がいなかったため公位は弟ルートヴィヒ(英語版)の子フリードリヒ・フランツ1世が継承した[1]。
家族
1746年、シュヴェート(英語版)でヴュルテンベルク公子フリードリヒ・ルートヴィヒ(英語版)の娘ルイーゼ・フリーデリケ・フォン・ヴュルテンベルク(英語版)と結婚した。2人は4女をもうけたが、4人とも若くして死去した[1]。
脚注