1860年、カミーユ・シルヴィ による写真。左から順に第9代ベッドフォード公爵、ロバート・キングスコート (英語版 ) 、ジョージ・レプトン (英語版 ) 。
第9代ベッドフォード公爵 フランシス・チャールズ・ヘースティングズ・ラッセル (英語 : Francis Charles Hastings Russell, 9th Duke of Bedford KG 、1819年 10月16日 – 1891年 1月14日 )は、イギリス の貴族、政治家。自由党 に所属し、1847年から1872年まで庶民院 議員を務めた[ 1] 。1886年、アイルランド自治をめぐり自由党の首相ウィリアム・グラッドストン と決裂、自由統一党 に転じた[ 1] 。
生涯
『バニティ・フェア 』1874年7月11日号におけるカリカチュア 、カルロ・ペリグリーニ 画。
ジョージ・ウィリアム・ラッセル卿 (英語版 ) (第6代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセル の息子)と妻エリザベス・アン(Elizabeth Anne 、旧姓ロードン(Rawdon )、ジョン・セオフィラス・ロードン閣下の娘)の息子として、1819年10月16日に生まれ、1820年7月20日にメイフェア のカーゾン・ストリート (英語版 ) で洗礼を受けた[ 1] 。
1838年8月28日、エンサイン (英語版 ) (騎兵少尉)および中尉としての辞令を購入し、スコッツガーズ に配属された[ 2] 。結婚を受けて[ 3] 、1844年7月ごろに陸軍から引退した[ 4] 。
1847年イギリス総選挙 でホイッグ党 (のち自由党 )候補としてベッドフォードシャー選挙区 (英語版 ) から出馬、無投票で当選した[ 5] 。1852年イギリス総選挙 でも無投票で再選、1857年イギリス総選挙 では1,564票(得票数1位)、1859年イギリス総選挙 では1,837票(得票数2位)で再選、1865年 と1868年 の総選挙では無投票で再選した[ 5] 。1872年5月27日に伯父の息子ウィリアム が死去すると、ベッドフォード公爵 位を継承した[ 1] 。
1880年に王立農業協会 (英語版 ) 会長に就任した[ 1] 。ウォバーン (英語版 ) の領地で天然肥料 の効用に関する実験を行い、面積90エーカー の農地を実験に使用した[ 6] 。また、サイレージ や畜産に関する知識が豊富だった[ 6] 。
1883年時点でベッドフォードシャー に約32,300エーカー の、デヴォン 州に22,600エーカーの、ケンブリッジシャー に18,800エーカーの、ノーサンプトンシャー に3,400エーカーの、ドーセット 州に3,400エーカーの、バッキンガムシャー に3,000エーカーの、ハンティンドンシャー に1,300エーカーの、コーンウォール に1,200エーカーの、ハンプシャー に150エーカーの、ハートフォードシャー に100エーカーの領地を所有し、合計で年収約142,000ポンド(2019年時点の$14,407,367と同等)相当だった[ 1] 。ほかにもロンドン周辺に多くの不動産を所有した[ 1] 。ベッドフォード の町にジョン・バニヤン の像 (英語版 ) と公会堂を建て、デヴォン州のタヴィストック での領地改良も進めたが、同時代の『パンチ 』誌などはベッドフォード公爵がコヴェント・ガーデン 周辺の領地をろくに管理していないとして批判した[ 3] 。
1880年12月1日、ガーター勲章 を授与された[ 1] [ 7] 。1884年4月16日から1891年に死去するまでハンティンドンシャー統監 (英語版 ) を務めた[ 8] 。1886年、アイルランド自治をめぐり自由党の首相ウィリアム・グラッドストン と決裂、自由統一党 に転じた[ 1] 。
晩年に病気不安症 を患い、さらに肺炎 にかかっている最中に精神錯乱を起こし、1891年1月14日にイートン・スクエア (英語版 ) 81号で挙銃自殺した[ 1] 。息子ジョージ・ウィリアム・フランシス・サックヴィル が爵位を継承した[ 1] 。
家族
1844年1月18日、エリザベス・サックヴィル=ウェスト (英語版 ) (1818年9月23日 – 1897年4月22日、第5代デ・ラ・ウォー伯爵ジョージ・ジョン・サックヴィル=ウェスト (英語版 ) の娘)と結婚[ 1] 、2男2女をもうけた[ 9] 。
出典
^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 86–88.
^ "No. 19650" . The London Gazette (英語). 28 August 1838. p. 1885.
^ a b Lloyd, Ernest Marsh ; Seccombe, Thomas ; Falkner, James (3 January 2008) [23 September 2004]. "Russell, Lord George William". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/24310 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ "No. 20363" . The London Gazette (英語). 12 July 1844. p. 2418.
^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 351. ISBN 978-1-349-02349-3 。
^ a b Lloyd, Ernest Marsh (1897). "Russell, George William" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 49. London: Smith, Elder & Co . pp. 437–438.
^ "No. 24909" . The London Gazette (英語). 3 December 1880. p. 6555.
^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
^ a b c d Pine, Leslie G., ed. (1956). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (101st ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 184.
外部リンク