パトリカスとその父ナリマンタス がヴオクサ川 沿いに建てたカレリア要塞 。
パトリカス・ナリマンタイティス (ロシア語 : Patrikey Glevovich , Патрикей Глебович;フィンランド語 : Patrika Narimantinpoika , 1340年 頃 - 1408年 以降)は、ノヴゴロド共和国 との間でシヴェーリア のスタロドゥーブ 付近の自身の土地をカレリア 、シュリッセリブルク 両要塞と交換したリトアニア 大公 ゲディミナス の孫ないし曾孫である。パトリカスはイングリア にキンギセップ を建てたことでも知られ、その男系子孫はゴリツィン家 、クラーキン家 、コヴァンスキー家 を含むロシア 貴族の家系となった。
パトリカスは1340年 頃に生まれて1408年 以降に死んだが、後者は最後に言及された資料に基づいている。系図上の文献ではその母に関して、大概はクリミア のハトゥン であると記している。18世紀 の学者はパトリカスの母の父親はバトゥ の玄孫であるウズベク・ハン であると主張した。パトリカスの妻の名はヘレナである(SchwennickeとIkonnikovによるESを参考)。
19世紀 の系図学ではパトリカスの父に関してナリマンタスか、或いはその息子であるアレクサンドラス なのか論争が起きた。19世紀後半の幾つかのロシアの文献はパトリカスの父はアレクサンドラスとしたが、IkonnikovやEuropäische Stammtafelnに代表される20世紀 の基本的な文献はナリマンタスを父とみなし続けている。パトリカス自身の生涯に近いことを著述している14世紀 から15世紀 の資料であるノヴゴロド年代記 は、はっきりとパトリカ、ナリマントの息子と呼んでいる(このことはナリマンタスが城を掌握した1383年 から1384年 にかけて記されている)。
1380年 頃、パトリカスは父ナリマンタス の後継を求めてノヴゴロド に到着し、カレリア、シュリッセリブルク 、コポリエ 、ルーガ 及びラドガ の地を譲渡され、ノヴゴロド共和国 からの封土 としての全"ヴォティアンの地 "を事実上掌握した。ノヴゴロド市民はパトリカスの領域を、自らの共和国と スウェーデン (スウェーデン・ノヴゴロド戦争 を参照)とのある種の緩衝国 として保持した。パトリカスは共和国の北部国境線の要塞化を援助し、ルーガ地域に ヤム 要塞 を建てた。
Europaeus(1859年 )はカレリアの民衆の間ではかつてのリトアニア人支配者の記憶が未だに残っていることを報告している。"これ等のリトアニア人は遥か昔にカレリアの地を自らの支配下に置き、このことは現地の民衆の記憶に未だに残っている。リトアニア人は自らの税を納めた鉄の門が付いた宝物庫をイロマンツィ に建てたと言われている。リトアニア人が略奪遠征から国境線に引き揚げている間、その銀を満載した船は難破してスオヤルヴィ に沈んだという話がある。"
1386年 にパトリカスは大ノヴゴロド及びその領域をモスクワ大公 ドミトリイ・ドンスコイ (ヴォルガ川 一帯を荒らし回る海賊であるウシュクインスキイ をパトリカスに対する攻撃を扇動する立場にあった)の攻撃から守備した。2年後に、恐らくはモスクワ からの圧力からであろうかノヴゴロド政府はルーガとスタラヤ・ルーサ の封土をアルギルダス の息子でパトリカスの従兄弟である別のリトアニアの公レングヴェニス に与えた。パトリカスはカレリアの地を支配続け、1396年 にはスモレンスク公ユーリ と会うために大ノヴゴロドに赴いた。
1408年 に年老いたパトリカスは若い息子のユルギスとテオドラスに伴われる形で儀礼的な形でドミトリイ・ドンスコイの息子ヴァシーリー1世 によってモスクワ で歓待された。ユルギスはヴァシーリー1世の娘と結婚して、その信頼における助言者となった。ダニール・シェア やヴァシアン・パトリキイエフ といったパトリカスの子孫は以後も何世代にも渡ってヴォティアンの封土やプスコフ の地を事実上掌握した。
参考文献と外部リンク
Ikonnikov, Nicolas F.: La noblesse de Russie part C
Schwennicke, Detlev: Europaische Stammtafeln : Stammtafeln zur geschichte der europaischen staaten.Neue Folge Schwennicke, Europäische Stammtafeln , vol III/1. Verlag von J. A. Stargardt
Charles Cawley, Medieval Lands (Foundation for Medieval Genealogy )
Русский биографический словарь Russki biografitšeski slovar, by Alexander Polovtsov, 1896–1918
A.J. Europaeus, 1859, Karjalan ajan-tiedot Täysinän rauhaan asti, vuonna 1595, Aschan [www = https://archive.is/20121208230953/http://www.salakirjat.net/karjalan_ajan-tiedot.html (in Finnish)]
(in Russian)
Chronicle of Novgorod
Sjöström (2011), Liettuan gediminidien suomensukuiset geneettiset juuret. ISSN 1239-3487, Donelaitis - Donelaitis-seuran, Liettuan Ystävät ryn lehti 1/2011, ss 16..18