ドイツ民主共和国の首相は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)に於ける行政府の長ではあるが、憲法改正などによる呼称も変わっているため、ここではそれについても述べる。
東ドイツはソビエト連邦同様、ソ連型社会主義体制をとっている社会主義国[注釈 1]であり、ドイツ社会主義統一党が事実上の一党独裁体制を敷く人民民主主義国であった。国家元首に相当する国家評議会、内閣に相当する閣僚評議会(ドイツ語版)が存在した。しかし、国政の実権は最高指導者であるドイツ社会主義統一党の中央委員会書記長が握っていたため、1989年の民主化以前の国政は党の指導の下行われた。
「閣僚評議会議長」(Vorsitzender des Ministerrats)という名称は東ドイツが憲法改正により社会主義国を宣言した、1968年以降のもので、それまでは憲法で「総理大臣」(あるいは「大臣主席」。独: Ministerpräsident)と定められた。東ドイツ初代首相のオットー・グローテヴォールは厳密に言えば、閣僚評議会議長ではなく単に総理大臣、または「大臣主席」である。
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