タンクレード・デ・アルメイダ・ネーヴェス(ポルトガル語: Tancredo de Almeida Neves, 1910年3月4日 - 1985年4月21日)は、ブラジルの政治家。ブラジル連邦共和国大統領当選者であった。
ブラジル・ミナスジェライス州出身。ミナス・ジェライス連邦大学で学んだ。ミナス・ジェライス州知事をつとめた。
74歳のとき、国会議員を中心とする選挙人による間接選挙で、野党だったブラジル民主運動党(PMDB)から、大統領の候補として立った。軍事政権下の与党社会民主党(PSD)から分裂した自由戦線党(PFL)の支持を得て、1985年1月15日の選挙では480対180の大差で大統領に選ばれた[1][2]。21年ぶりの文民大統領となるため国民から期待されたが、3月14日の大統領就任式前夜、ミサ中に倒れ急遽ブラジリアの病院に担ぎ込まれた。社会現象になるほど国民が心配し見守る中7回の手術を受けたが、38日後にサンパウロで死去した。75歳であった。
大統領としての執務は連立相手の自由戦線党から出た副大統領ジョゼ・サルネイが代行し、結局ネーヴェス自身が大統領に就任することはなかった。ブラジル社会民主党党首のアエシオ・ネーヴェス(英語版)は孫にあたる。
出典
- ^ Riordan Roett and Scott D. Tollefson "The Transition to Democracy in Brazil", Current History, January 1986, p21.
- ^ 堀坂浩太郎『ブラジル 跳躍の奇跡』(岩波新書)、岩波書店、2012年、40頁。
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