なお「ギンスブルグ」の綴りには諸説あるが、2006年に発売されたトリビュート・アルバムMonsieur Gainsbourg Revisited のブックレットには "We wish to thank [...] Paul Ginsburg" という記載がある。「ゲンスブール」についても、日本では「ゲンズブール」「ゲーンスブール」「ゲーンズブール」といった表記が使われている。69 année érotique(『69年はエロな年』)、Ballade de Johnny-Jane などで聞ける本人の発音は「ゲンズブール」に近い。フランス語の発音規則に従えばここは「ス」なのであるが(フランス語の規則に従えば、全体を「ガンスブール」または「ギャンスブール」と発音するのが自然であろう)フランス語では有声化と呼ばれる現象が強く、後の[b]に影響されて[s]が[z]に近く発音されると考えられるので揺らいでいる文字の発音は「有声化によって『ズ』に近くなった『ス』」という記述がもっとも適当であろう[4]。
歌手デビュー後
1958年、セルジュは歌手としてメジャーデビューする。デビュー作「リラの門の切符切り」(Le Poinçonneur des Lilas)は、地下鉄の駅(ポルト・デ・リラ駅)で切符を切り続ける改札係を歌ったものである。暗い地下から逃げて広い世界に出たいという着想は、あるとき改札係に「なにか望みはないか」と尋ね、「空が見たい」という答えを受けたことから生まれたという。歌詞の中では、色々な意味に変わりながら繰り返される trous(穴)という語が性的な隠喩であるとされる。この曲がヒットしている間、セルジュはコンサートで改札係に扮して歌った。
1965年、フランス・ギャルがセルジュの曲 Poupée de cire, poupée de son (「夢見るシャンソン人形」)でユーロビジョン・ソング・コンテストのグランプリを獲得する。当時ジャック・プレヴェールに代表される情緒豊かな作品(日本で普通「シャンソン」と呼ばれるようなもの)が主流だったフランス音楽界において、それらと比べテンポが速く音数も多い作風であることが一線を画したゆえ一部の反発を受けるが、若い層を中心に絶大な人気を集め、ギャルとともにセルジュの名を一気に高める。その後もギャルへの提供曲は続々とヒットし、ギャルはフレンチロリータという伝統の始まりとなる。
また、1966年にギャルへ提供した『アニーとボンボン』( Les sucettes)の原題にある sucetteという語は棒状のペロペロキャンディを意味すると同時に、フェラチオの隠語でもあった。当時18歳のアイドルだったギャルは、PVで無邪気にロリポップをなめる姿を見せているが、その意味には気付いていなかったと発言している[5][6]。また、ギャルの後ろでロリポップ・キャンディの着ぐるみを被った数人の人物が共演しているが、彼らの着ぐるみもギャルが手にしたキャンディも、両者共に男性器を彷彿させるような形状であることが確認できる[7]。
ギャルは、ヒット中には何も知らずにTVやグラビアで棒つきキャンディを頬張っている姿を見せていたが、後にセルジュが書いた歌詞に秘められていた別の意味に気付いて人間不信に陥り、恥ずかしさと怒りから数か月部屋に閉じこもってしまった[8] 。
ブリジット・バルドーとの関係
1967年、セルジュは既婚のブリジット・バルドーと関係を持つ。この年にはバルドーに Harley Davidson など多数の曲を提供している。「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(Je t'aime... moi non plus)もその一つであるが、バルドーは当時の夫ギュンター・ザックスの怒りを恐れ、この歌のリリースを拒否する(詳しくは「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を参照)。翌1968年にはセルジュとバルドーのデュエットなどによるアルバム『ボニーとクライド』(Bonnie and Clyde)がリリースされている。
ジェーン・バーキン
1968年、映画『スローガン』(Slogan)でジェーン・バーキンと共演する。当時20歳のバーキンはセルジュに一目惚れし、同年のうちに「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」をセルジュとデュエットするなど親密な関係となる。なお、バーキンが「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を歌ったアルバム『ジェーン&セルジュ』(Jane Birkin et Serge Gainsbourg)にはセルジュが歌う Les sucettes も収録されている。
1968年、フランソワーズ・アルディに「さよならを教えて」(Comment te dire adieu)の作詞を担当(ジャック・ゴールド作曲、アーノルド・ゴーランド作詞で、ヴェラ・リンが1967年に歌った It Hurts To Say Goodbye のカバー)。これがきっかけで、アルディはセルジュともバーキンとも親しく交際するようになる。セルジュの死後もアルディはバーキンのアルバム『ランデ・ヴー』(Rendez-vous, 2003年)に Suranée で参加するなど、バーキンと懇意である。