第2代モンタギュー公爵ジョン・モンタギュー(英: John Montagu, 2nd Duke of Montagu, KG, KB, PC、1690年3月29日 - 1749年7月5日)は、イギリスの貴族。
経歴
1690年3月29日、初代モンタギュー公爵ラルフ・モンタギュー(英語版)とその妻エリザベス(英語版)(第4代サウサンプトン伯爵トマス・リズリーの娘)の間の息子として生まれる[1]。長男ではないが、兄は早世していたので嫡男としての出生だった[2]。
1709年3月9日に父が死去し、第2代モンタギュー公爵位を継承した[1]。1714年のジョージ1世の即位式に際して大司馬を務めた[1]。1715年から1721年にかけてと1737年中には第1近衛騎馬隊(英語版)の隊長(Colonel)を務めた[1][2]。
1715年から1749年にかけてノーザンプトンシャー知事(英語版)とワーウィックシャー知事(英語版)を務めた[1]。
1721年にフリーメイソン・イングランド・首位グランドロッジ(英語版)のグランドマスター(英語版)に就任。彼の就任をきっかけとしてフリーメイソン要職は貴族に独占されるようになる。元グランドマスターのジョン・デサグリエに『フリーメイソン憲章』を作成させた。しかし翌1722年の不在中に初代ウォートン公爵フィリップ・ウォートンにグランドマスター職を取られた。モンタギュー公はデサグリエを副グランドマスターにすることを条件にウォートン公のグランドマスター就任を認めた。
1733年から1734年にかけてはワイト島総督(英語版)を務めた[1]。1736年1月に枢密顧問官に列した[1]。1740年から1749年にかけて第2代近衛竜騎兵連隊(英語版)連隊長を務めた[1][2]。
1740年には補給庁長官(英語版)し、短期間の退任を挟んで死去まで務めた[2]。衣服長官(英語版)やバス騎士団グレイトマスター(英語版)なども務めた[2]。
1749年7月5日に発熱して死去。生存している男子がなく、爵位は彼の死とともに廃絶した[1]。
栄典
爵位
- 1709年3月9日、第2代モンタギュー公爵 (2nd Duke of Montagu, 1705年創設イングランド貴族爵位)
- 1709年3月9日、第2代モンザーマー侯爵 (2nd Marquess of Monthermer, 1705年創設イングランド貴族爵位)
- 1709年3月9日、第2代モンタギュー伯爵 (2nd Earl of Montagu, 1689年創設イングランド貴族爵位)
- 1709年3月9日、第2代エセックス州におけるモンザーマーのモンザーマー子爵 (2nd Viscount Monthermer, of Monthermer, county of Essex, 1689年創設イングランド貴族爵位)
- 1709年3月9日、第4代ボートンのモンタギュー男爵(英語版) (4th Baron Montagu of Boughton, 1621年創設イングランド貴族爵位)
勲章
家族
1705年に初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルの娘メアリーと結婚し、彼女との間に以下の5子を儲ける。
脚注
出典
参考文献