サバーハ家(アラビア語: آل صباح, ラテン文字転写: ʼĀl Ṣubāḥ; 英: Al Sabah family もしくは アラビア語: آل الصباح, ラテン文字転写: ʼĀl al-Ṣubāḥ; 英: Al-Sabah family)は、クウェートの首長(アミール)家。文語アラビア語ではスバーフと発音する男性名(意味は美少年)が由来[1]だが、英語ではSabah、日本語ではサバーハ、サバハと表記するのが一般的。
18世紀より現在まで、クウェートの首長を輩出している。なお、日本の報道機関では首長はサバハ首長と表記されることが多い[2]。
歴史
サバーハ家は、バーレーンのハリーファ家同様に、アラブのアナザ部族(アラビア語版)の一支部族ウトゥーブ(英語版)の、1674年ごろにナジュド地方からカタール半島に移住したジャミール部族に属する家系である[3][4]。18世紀前半に、サバーハ家の始祖、アブー・サルマーン・サバーハ・ビン・ジャービル(サバーハ1世, c.1700-1776年)が、従兄弟との関係悪化をきっかけにしてクウェートへ移住し、同地の支配権を得た[3][4]。シャリーフでもなく宗教者でもなかったサバーハ1世がどのような過程で権力を得たのか、はっきりとはわかっていないが、武力を背景にしたものではなくウトゥーブ(バニー・ウトバ、ウトビー)に属する、ジャミール部族ではない他の部族の合意を得たものであったようである[3]。
18世紀に、オスマン帝国との交渉役としてクウェート商人の互選でサバーハ家が選ばれ、首長となった。さらに1871年、第4代の首長アブドゥッラー2世がオスマン帝国からカーイマカム(総督)の称号を与えられ、クウェートは帝国のバスラ州の一部であると認められた。
なお、現在の憲法の規定により、首長及び世子は第7代ムバーラクの直系男子と定められている。ムバーラクは兄のムハンマドを暗殺して首長になったが、ムハンマドの子息は生き延び、現在も子孫が続いているため、ムハンマドの子孫の首長位継承権を否認するための規定である。ムバーラクの子息、第8代ジャービルの子孫・ジャービル家と第9代サーリムの子孫・サーリム家の子孫から、ほぼ交互に首長を輩出しているが、近年、サーリム家の衰えが激しく、ジャービル家に首長・世子・首相など重要ポストのほとんどを押さえられている。
首長の一覧
主な王族
- ナーセル王子(英語版)(ジャービル家)
- 1941年生まれ。第10代アフマド首長の次男ムハンマド王子の子。首相。
- ファハド(ファハド・アッ=サバーハ、ジャービル家)
- 第10代アフマド首長の第六首長世子で、第13代ジャービル首長・第15代サバーハ首長・第16代ナワーフ首長・第17代ミシュアル首長の末弟。湾岸戦争に際し、イラク軍と戦った唯一の王族。その戦闘により死亡した。国民からは英雄と崇敬されている。
- アフマド王子(英語版)(ジャービル家)
- 1961年生まれ。ファハド王子の子、第15代サバーハ4世首長の甥。元エネルギー大臣。父ファハド王子の壮絶な戦死により、国民の人気が高く、政治的にも発言力が強い。現在のアジアハンドボール連盟の会長を務めている。
系図
- 下津源太郎『世界帝王系図集』(増補版、近藤出版社、1987年)を基に作成。
出典