グジュラーンワーラー(ウルドゥー語: گجرانوالہ, 英語:Gujranwala)は、パキスタンのパンジャーブ州の都市である。グジュランワラとも。2015年の人口は約272万人である。海抜226mである。
歴史
「帝国インド地名辞典」によると、グルジャル族が設置した。後に定住したイランのジャート族がカンプールと改名したが、古い名前が残った。
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7世紀初頭、ラージプート王国がパキスタン東部とインド北部を支配した。
630年、唐の玄奘三蔵がグジュラーンワーラー近郊のツェキアを訪れた。
997年、ガズナ朝のマフムード王が父のサブク・ティギーン王から王位を受け継いだ。
1005年、カブールのシャヒ王国を征服し、続いてパンジャーブ地方西部を征服した。パンジャーブ地方東部(ムルターン~ラーワルピンディー、グジュラーンワーラー)は1193年までラージプート王国が支配した。
ムガル帝国の衰退後、シク王国がグジュラーンワーラーを支配した。
1707年、ムガル帝国のアウラングゼーブ王が亡くなった。シク王国はパンジャーブ地方を獲得した。
1780年11月13日、シク王国の君主であるランジート・シングがこの地で誕生した。彼の父と祖父はグジュラーンワーラーを重要視した。
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1802年、ランジート・シングは王国の首都をグジュラーンワーラーからラホールへと遷都した。
1848年、イギリスがこの地域を征服した。
1867年、自治体に昇格し、北西鉄道でカルカッタやカラチと繋がった。
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1901年の人口は2万9224人だった。
交通
鉄道、高速道路、河川交通の中心地であり、地方産品輸出のドライポート(陸上港)として機能している。
最寄の空港
人口
1998年の人口は1,132,509人。
生活環境
大気汚染
民間機関「IQAir AirVisual」の2019年版報告書では、グジュラーンワーラーは大気汚染のひどさでパキスタンのトップ、世界でもベスト10に入る都市となった[3]。
衛生環境
総世帯の35.5%には衛生的な設備がない。自宅に水洗式トイレのある世帯は全体の42.8%にとどまり、乳児死亡率は1000人あたり67人である[4]。
関連項目
脚注
外部リンク