ギヤースッディーン・ピール・アリー(? - 1389年[1])は、クルト朝の君主(在位:1370年 - 1389年)。
ギヤースッディーン・ピール・アリーはトランスオクシアナ地方に建国されたティムール朝に臣従を誓うが、ティムールが主催したクリルタイに出席せず、1371年に首都ヘラートはティムールの攻撃を受けた[2]。ギヤースッディーンはティムールに降伏し[2]、子のピール・ムハンマドとともにティムール朝の首都サマルカンドに移送される[1]。
1383年にヘラートで大規模な反乱が起きた後、ギヤースッディーンは反乱に関与した嫌疑をかけられて処刑された[2]。
脚注
- ^ a b 本田「カルト朝」『アジア歴史事典』2巻、244-245頁
- ^ a b c ルスタン・ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』収録(加藤九祚訳, 東海大学出版会, 2008年10月)、60-62頁
参考文献
- 本田実信「カルト朝」『アジア歴史事典』2巻収録(平凡社, 1959年)