エドワード・ギボン (英語 : Edward Gibbon 、1707年 10月 – 1770年 11月10日 )は、グレートブリテン王国 の政治家。『ローマ帝国衰亡史 』で知られる歴史家エドワード・ギボン の父であり、1734年から1747年まで庶民院 議員を務めた。
生涯
エドワード・ギボン(Edward Gibbon 、1666年 – 1736年12月[ 1] )とキャサリン・アクトン(Catherine Acton 、リチャード・アクトンの娘)の一人息子として、1707年10月に生まれた[ 2] 。1716年から1720年までウェストミンスター・スクール で教育を受けた後[ 2] 、1723年10月3日にケンブリッジ大学 エマニュエル・カレッジ に入学した[ 3] 。その後、グランドツアー に出てフランスとイタリアを旅した[ 2] 。
父エドワードは1716年に南海会社 理事に選出されたが[ 1] 、南海泡沫事件 で会社が破綻すると、1721年の議会立法(南海会社被害者法、South Sea Sufferers Act )によりほとんどの財産を失い、10万ポンドのうち1万ポンドを法案成立直前に妻に譲ることで維持した程度だった[ 1] [ 2] 。
1734年イギリス総選挙 でピーターズフィールド選挙区 (英語版 ) から出馬して、得票数2位(184票)で当選したが、1739年にピーターズフィールド (英語版 ) の邸宅をジョン・ジョリフ (英語版 ) に売却したことでピーターズフィールドにおける影響力を失い[ 4] 、1741年イギリス総選挙 では多額の資金を投入してようやくサウサンプトン選挙区 (英語版 ) で勝利できた[ 2] 。議会ではトーリー党 の一員として野党の立場にあった[ 2] 。1743年、ロンドン 市参事会議員 (英語版 ) を務めた[ 2] 。
1736年に父の遺産を継承したが、自身の贅沢などにより資金難に陥り、1747年イギリス総選挙 では出馬せず、ピーターズフィールド近くのバリトン (英語版 ) に引退することを余儀なくされた[ 2] 。同1747年12月に妻が死去するとギャンブルなどの娯楽に走り、家計はさらに悪化した[ 5] 。
以降も息子の同意を得てパットニー (英語版 ) の地所を売却したり、地所を抵当に入れて借金するなど家計がよくなく[ 1] 、1761年イギリス総選挙 では息子エドワードを議員に当選させようとして1,500ポンドの出費を計画した[ 5] 。1770年11月10日にバリトンで死去した[ 2] 。死後、息子エドワードは1772年末までにバリトンを賃貸するなど家計を立て直し、同年にメリルボーン のキャヴェンディッシュ・スクエア (英語版 ) に住居を構えるほどとなった[ 5] 。このように財政難に悩まされたためか、後年に息子エドワードが書いた回想録の草稿では「息子の涙が長続きすることは稀である」(the tears of a son are seldom lasting )など父の死に対して冷たく、回想録を編集した初代シェフィールド男爵ジョン・ベイカー・ホルロイド (後の初代シェフィールド伯爵)はこれらの文章を削った[ 5] 。
家族
1736年6月3日、ジュディス・ポーテン(Judith Porten 、1747年12月26日没[ 5] 、ジェームズ・ポーテンの娘)と結婚、6男1女をもうけた[ 2] 。
エドワード (1737年 – 1794年) - 歴史家
それ以外の5男1女は1歳未満で死去[ 5]
1755年5月8日、ドロシア・パットン(Dorothea Patton 、1796年没)と再婚した[ 5] 。
出典
^ a b c d Stephen, Leslie (1890). "Gibbon, Edward" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 21. London: Smith, Elder & Co . pp. 250, 253.
^ a b c d e f g h i j Watson, Paula (1970). "GIBBON, Edward (1707-1770), of Putney, Surr." . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月14日閲覧 。
^ "Edward GIBBON (GBN723E)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ Watson, Paula (1970). "Petersfield" . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月14日閲覧 。
^ a b c d e f g Womersley, David (25 May 2006) [2004]. "Gibbon, Edward". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/10589 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)