ウィリアム・ヘンリー・ホワイト(William Henry White, 1838-1896)は英国人建築家で、長らく王立英国建築家協会事務局長を務めた。
トーマス・ロジャー・スミスが王立英国建築家協会の準会員(Associate)と正会員(Fellow)の推薦人を務めた。
業績
・ロンドンで建築家修業を積み、20代末にパリに建築設計事務所を開設。もっぱらドイツ人銀行家シクラー(Schikler)から仕事を得て、彼がノルマンディ地方に所有するシャトーの修復営繕にかかわった。1860年代後半、ビジー城(フランス語版)やマルチンバスト城(フランス語版)の増改築工事を行っており、そこに後に明治政府雇用になるチャールズ・アルフレッド・シャストール・ド・ボアンヴィルが助手として働いていた。
・普仏戦争勃発とともにイギリスに戻り、父親の縁でインド省カルカッタ(コルカタの旧名)管区建築家に就任した。任期中にカルカッタのプレジデンシー・カレッジ他、多くの公共建築を設計したが、1872年にはイギリスに戻り、ロンドン郊外に新設になった王立インド工学校(英語版)の建築学試験官となった。傍ら、建築雑誌『ビルダー(英語版)』の編集主幹などを務め、1874年に王立英国建築家協会事務局次長、1878年からは事務局長を務めた。
・ボアンヴィルは明治政府との雇用契約を終え帰英すると、ホワイトの推薦で王立英国建築家協会会員となった。
出典
- 1. Obituary: William Henry White, RIBA Journal 1896.
参照