地図
イル=オー=モワンヌ (Île-aux-Moines、ブルトン語:Enizenac'h)は、フランス、ブルターニュ地域圏、モルビアン県のコミューン。モルビアン湾最大の島モワンヌ島から構成されている。
由来
最初は「短い十字架」を意味するCrialeis、ついで「僧侶の島」を意味するEnez manac'h(11世紀のつづりではEnest Manach)と呼ばれた。現在のブルトン語名Enizenac'hはさらに短縮された名称である。
地名は、ルドンのサン・ソヴール修道院の聖職者(彼らの誰一人も島に住んだことはなかった)が島の所有者であったという史実からきている。
地理
モルビアン湾内にあるモワンヌ島は、最大の長さが7km、幅3.5kmある。島の形状は十字に似ており、島のいかなる部分も海から450m以上離れていない。
ラルモル=バダン、バダンの各港から渡るのが一般的である。1980年より島の南端が保護区となっている。ペンアップ岬はコミューンが管理している。地中海性の植生を保護するためである。
歴史
モワンヌ島には新石器時代から人が定住しており、今だ見られるドルメンやその他遺物が証明である。ガロ=ローマ時代の定住地の跡も見つかっている。
854年、ブルターニュ王エリスポエは島をルドンのサン・ソヴール修道院(彼の父親ノミノエが創設)へ寄進した。島は言わば修道院の屋根裏となった。10世紀のノルマン人侵攻後、島はアラドンの教区に加わった。1543年には島そのものが教区となった。1792年には名前がフランス語化されIsle-aux-Moinesとなった[2].
。フランス革命時代にはアンシャン・レジームを彷彿とさせる名が嫌われたため、イル・デュ・モルビアン(Isle-du-Morbihan)と改名させられていた[2]。
昔から、島の女性は自分で夫を選ぶ権利を持っていた。これは彼女たちの肩に島の経済が依存していたためで、多くの島の男たちは船乗りとなって島から出ていたのである。
今日、島には海軍協会がある。ペンアップ岬は若者に航海技術を教える学校の本校がある。
人口統計
1962年
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1968年
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1975年
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1982年
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1990年
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1999年
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2006年
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748
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711
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588
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590
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617
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610
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536
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脚注
外部リンク