当初喜安は完全にオリジナルのコンピュータを作る構想だったが、一年間のイリノイ大学留学から帰国した室賀三郎が、ILLIAC Iに関して設計図も持ち帰るなど完璧な把握をしており「オリジナルなんて無謀だ」と進言。開発人数も少なかったので、ILLIAC Iの命令セットを実装、ILLIAC I 用のソフトウェアライブラリを利用することを意図して設計された。また室賀はIBMの売り上げ資料なども持ち帰り、これを読んだ喜安は、これから発達する分野はコンピュータである事を確信したという。
命令セットは ILLIAC I の上位互換であった(命令が追加されていた)ため、多くの ILLIAC I 用ソフトウェアを実行できた。ただし、ILLIACでは命令語内の未使用ビットをデータ格納に使用することがあったため、そのようなプログラムをMUSASINO-1で実行すると追加命令が実行されてしまい、そのままでは動作しなかった。