1996年の国際F3000選手権は、1996年5月11日から10月12日までの全10戦で争われた。このシーズンは、すべてのチームが同じシャーシ、エンジン、タイヤを使用するワンメイク化された最初の国際F3000シーズンだった。RSMマルコから参戦したヨルグ・ミューラー(ドイツ)が王座を獲得した。
同年最多の3勝を挙げ、シーズンを通してミューラーと王座を争ったのはケニー・ブラックだった。最終戦ホッケンハイムの決勝レースでは、両者にタイトルの可能性がある直接バトルとなったが、ホッケンハイムの長い直線でブラックとミューラーが並走した際、ブラックが並びかけたミューラーに対して横に動き、威嚇するような動きをした。2台は次のコーナーの進入で譲らず接触、ミューラーのマシンはブラックのマシンに乗り上げるようにコースアウトしリタイヤとなった。ブラックはそのままレースを続け、最終戦優勝とシーズンタイトルを決定するために走ったが、ミューラーへの危険な走法があったとしてフィニッシュライン上で黒旗が提示された。しかしブラックはそれに従うことを拒否し、トップのままチェッカーを受ける。しかし、結局はブラックに失格裁定が下り最終戦の結果から除外され、チャンピオンはミューラー、ブラックはランキング2位となった[1]。
略記号用途:R22 =リタイアしたが22位完走扱い。R =リタイア。NC =周回数不足。NS =スタートできず。NQ =予選不通過。DIS(1) =1位チェッカーだったが後に失格。17E =17番グリッドの資格を持っていたが、何らかの理由により最後列から発進。
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