高原 次利(たかはら つぐとし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、旗本。讃岐国直島城主。
略歴
高原氏は讃岐国香川郡直島の領主で、寛元4年(1246年)に直島の支配を任せられたという[1]。
天正10年(1582年)、次利は羽柴秀吉による高松城攻めで海陸の案内を引き受け、その恩賞として備前国児島郡のうち、五百四十五貫文を加増され[2][3]、直島・男木島・女木島を領有を認められた[1]。
その後、九州征伐や文禄・慶長の役にも水軍を率いて参加し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属して所領を安堵された[1]。
元和5年(1619年)10月10日、死去。88歳没(『寛政重修諸家譜』)[2][3]。
脚注