高 升(こう しょう、ガオ・シェン、中国語: 高升、1962年5月10日 - )は中華人民共和国・遼寧省瀋陽市出身の元サッカー中国代表選手、サッカー指導者。
現在は中国サッカー・スーパーリーグに所属する遼寧足球倶楽部の監督を務めている。
選手キャリア
高升は自身のキャリアを地元のサッカークラブであった遼寧足球倶楽部のユースチームで始めた。その後、1983年にトップチームに昇格した[1]。彼はすぐにチーム内で頭角を現し、アジアクラブ選手権1989-90を含む数々の優勝をクラブにもたらした。1991年、高升は沈祥福の招きに応じて来日、日本の富士通サッカー部に入団した。その後4年間プレーした後、1995年に高升は富士通サッカー部でサッカー選手を引退した[2]。
監督キャリア
高升は選手引退後富士通サッカー部ユースチームの監督を務めていたが、2011年12月に遼寧省に戻り、かつてのチームメイトであった唐堯東(英語版)の下、アシスタントコーチとして遼寧足球倶楽部ユースチームの指導にあたった[3]。彼は李樹斌(英語版)がサッカー中国代表の監督に就任した後2003年1月に遼寧足球倶楽部のアシスタントコーチを務めた。2006年末、高升はアシスタントコーチの職を辞し、再度富士通サッカー部の後継クラブである川崎フロンターレで指導者として仕事をするようになった。彼は岡田武史が中国スーパーリーグに所属する杭州緑城の監督に就任した際、招きに応じて杭州緑城のアシスタントコーチを務めた[4]。2013年11月、岡田武史が杭州緑城の監督を辞任すると、彼もまたアシスタントコーチの職を辞した。2013年11月27日、高升は3年間の契約で遼寧足球倶楽部の新監督に就任した[2]。
代表戦での得点
プライベート
高升は1990年代に日本人女性と結婚した。彼の息子である高宇洋(こう たかひろ)は2017年よりガンバ大阪に加入した[5]。
脚注
外部リンク