食糧管理法(しょくりょうかんりほう、昭和17年2月21日法律第40号)は、戦時下における食料供給の安定に関する、かつて存在した日本の法律。
1942年(昭和17年)2月21日に公布され、1995年(平成7年)11月1日に廃止された。
概要
太平洋戦争の最中の1942年(昭和17年)2月21日に、東條内閣によって制定された。内容は、食糧の生産・流通・消費にわたって政府が介入して管理するというものであり、目的は食糧(主に米)の需給と価格の安定である。
基は、戦時下における国内外の米の流通不全を原因とした食糧、特に米の偏在を解消し、国民が平等に入手できることを目的にした制度であったが[1]、そのような状況が1950年代には解消した後も、1994年(平成6年)まで続いた。
戦中戦後の食糧不足の時代には必要な法律であったが、飽食の時代となったことに加えて洋食や麺など食の多様化が進み、コメ余りになる程に供給過剰になった1970年頃から、政府米の収支が逆ザヤとなる問題や自主流通米以外の『ヤミ米問題』が発生。また世界から、ウルグアイ・ラウンドの自由貿易による『米市場開放』が要求された[2]。
これらを受けて、食糧管理法は1995年(平成7年)11月1日に廃止され、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)に引き継がれた。
脚注
- ^ 『食糧管理法は戰時の制定にかゝること所論のとおりであるが、同法は國家總動員法のごとく戰時に際して國防目的を達成する爲に國の全力を最も有効に發揮せしむるよう人的及び物的資源を統制運用するための法規ではなく、國民食糧の確保と國民經濟の安定とを図るため、食糧を管理してその需給と價格との調停並に配給の統制を行うことを目的として制定せられたものであつて、國内における食糧絶對量の不足に當面する國民の主要食糧の獲得について、一般民衆ができるだけ平等な機會をもつことを確保せしめんとするものである。』(最高裁判決昭和25年2月1日 刑集第4巻2号73頁)
- ^ 主要な食糧である米穀及び麦は、主食としての役割を果たすとともに、我が国農業における重要な農産物としての地位を占めております。食糧管理法は、このような米穀等の重要性にかんがみ、昭和十七年に制定されて以来今日に至るまで、社会的、経済的実態の変化を踏まえた所要の改善を図りつつ、主食を安定的に供給するという機能を一貫して担ってきたところであります。しかしながら、近年、米穀の生産、流通、消費をめぐる諸情勢は大きく変化しており、生産者の創意工夫の発揮、消費者ニーズへの的確な対応、流通の合理化等の要請が高まっているほか、最近の米穀の不正規流通に見られるように、現行の食糧管理制度が実態と乖離し、その機能を十分に発揮することができなくなっている点も指摘されております。また、世界貿易機関を設立するマラケシュ協定の実施に伴い、新たな国際的規律のもとで国民に対する食糧の安定的供給を確保していくことが緊要な課題となっております。(衆議院会議録情報 第131回国会 大河原太一郎農林水産大臣発言)
関連項目
- ^ 長嶺超輝 『裁判官の人情お言葉集』、幻冬舎、150頁