『頭ならびに腹』(あたまならびにはら)は、横光利一の短編小説(掌編小説)。1924年(大正13年)10月に同人雑誌『文藝時代』創刊号に掲載され、横光の属する同人が「新感覚派」と命名される大きなきっかけの一つとなった作品である[1]。線路故障で立ち往生する特別急行列車から迂回線に乗り換える乗客たちと、一人そのまま残ったお道化た小僧との対比の一幕を描いた小品。タイトルの意味は、太った「腹」の紳士につられて迂回線に移動してゆく人々の「頭」と、小僧の「頭」のことで、人間を擬物的手法で描いている[2]。
冒頭部の、「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。」は、新感覚派表現の代表的な例としてよく引用されている[2]。この擬人法と比喩を巧妙に混ぜ、特急列車のスピード感を表現した独特の新しい文体は、発表当時文壇の大きな話題となり、同人誌発行意義の決定打となった[1]。
発表経過
1924年(大正13年)10月1日、同人雑誌『文藝時代』創刊号(第1巻第1号)に掲載され、翌1925年(大正14年)6月、文藝日本社より刊行の『無禮な街』(新字:無礼な街)に収録された[3]。
雑誌『文藝時代』は、川端康成、石浜金作、今東光、中河与一、横光利一ら、計14人の同人で創刊され、川端が「創刊の辞」を書いている。誌名も川端の発想で名付けられた[1]。
あらすじ
ある日の真昼、満員のまま特別急行列車が走る中で、一人の小僧が横着に大声で唄っていた。突然、列車は線路の故障の為に停止してしまう。いつ故障線が回復するか分からない不安の中、駅員はS駅まで引き返す列車が来るので、急ぎの方は切符を出すよう報告する。乗客がどうしようか迷っていると、一人の腹の肥大した紳士が自信ありげに切符を出した。すると多くの乗客の頭は蠢き出し、迂回線で戻る列車に乗客は殺到した。
迂回線で戻る列車が発車してから間もなく、一人の駅員が故障線が復旧して開通したことを乗客に報告する。しかし、その時車内に残っていたのは、楽天的に唄っていた小僧一人のみであった。この騒動の間も、小僧は意気揚々と窓枠を叩きながら一人、白と黒との眼玉を振り子のように振りながら歌っていた。列車は小僧のただ一つの鉢巻頭を乗せ、目的地へ向って空虚のまま全速力で馳け出した。
おもな収録本
- 『無禮な街』〈現代短篇小説選集3〉(文藝日本社、1925年6月20日)
- 収録作品:「無禮な街」「頭ならびに腹」「表現派の役者」「慄へる薔薇」「穴」「舟」「青い石を拾つてから」
- 文庫版『愛の挨拶・馬車・純粋小説論』(講談社文芸文庫、1993年5月10日)
- カバーデザイン:菊地信義
- 解説:高橋英夫「表わしえぬ領域への接近」。十重田裕一「作家案内―横光利一」。保昌正夫「著書目録―横光利一」
- 収録作品:「マルクスの審判」「頭ならびに腹」「街の底」「幸福を計る機械」「愛の挨拶」「鳥」「機械」「馬車」「書翰」「新感覚論」「純粋小説論」
アンソロジー収録
- 『文豪ナンセンス小説選』(河出文庫、1987年7月)
脚注
参考文献
外部リンク
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短編小説 |
父(踊見) - 悲しめる顔(顔を斬る男) - 笑はれた子(面) - 日輪 - 蠅 - 御身 – 碑文 - マルクスの審判 - 無礼な街 - 頭ならびに腹 - 愛巻 - 街の底 - ナポレオンと田虫 – 春は馬車に乗つて – 花園の思想 - 朦朧とした風 - 七階の運動 - 或る職工の手記 - 高架線 – 鳥 - 機械 - 時間 – 悪魔 - 厨房日記 - 雪解 - 比叡 – 睡蓮 - 罌粟の中 - 微笑 - 洋燈
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中編・長編小説 |
上海 - 寝園 – 紋章 – 時計 - 盛装 – 家族会議 - 旅愁 - 続紋章 - 鶏園 - 夜の靴
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戯曲 |
愛の挨拶 - 食はされたもの - 男と女と男 - 淫月 - 帆の見える部屋 - 恐ろしき花 - 閉らぬカーテン - 幸福を計る機械 - 霧の中 - 笑つた皇后 - 日曜日
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評論・随筆 |
時代は放蕩する(階級文学者諸卿へ) - 新しき三つの焦点 - 震災 - 黙示のページ - 文藝時代と誤解 - 感覚活動―感覚活動と感覚的作物に対する非難への逆説(のち「新感覚論」と改題) - 新感覚派とコンミニズム文学 - 文学的唯物論について - 宮沢賢治氏について -作家の生活 – 純粋小説論 – 琵琶湖 - 欧州紀行 - 軍神の賦 - 特攻隊
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詩歌 | |
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