門限(もんげん)とは、外出する際に夜間において、外出先から帰らなければならない時刻のことである。
概要
さかのぼると門限の規定は、律令時代の宮廷に見られ、大化3年(647年)に登庁・退庁の時刻が定められた時、遅刻した官人に対しては、宮内(宮廷)に入ることを許されなかった[1]。これは律令初期から官人の出勤怠慢が常態化し、規定されるその10年前にはすでに指摘されており、舒明天皇8年(638年)、蘇我蝦夷に対して、大派王(敏達天皇の孫)が、官人達の出勤態度が怠慢であることを指摘し、「今後は卯の刻始め(午前5時)に登庁、巳の刻の終わり(午前11時)に退庁とし、鐘で時刻を知らせたらどうか」と提案するも、却下されていることからも分かる[2]。
江戸時代の武家においても確認でき、これは太平の世においても、(想定として)領土を敵に攻め込まれれば主君=将軍や大名を守るために警護しなければならなかったことにもよる。有事の際、所在が把握できないと役目を果たせないため、外泊自体が許されていなかった。建前上、武家は拝領屋敷で待機することを求められ、それは非番の日であろうと変わりなかった。その門限は子ノ中刻(午前0時頃)には必ず家に戻らなければならなかった。門限を過ぎれば、外泊と判断され、場合によっては御家断絶という処分も成された[3]。時代劇において、旗本や御家人が遊郭で寝泊まりする場面が見られるが、時代考証上、これもありえず(前同p.180)、武家が遊郭に遊びに行く時は、門限を考慮して昼前に出かけるのが常であった(前同p.180)。
城下町の木戸番は定時に木戸を閉めた(詳細は「木戸番」を参照)。
軍事にたずさわる役職に門限がつきものであることは、現代の自衛隊にもいえ、「内務班#自衛隊」の「外出に関して」を参照。
近代以降では、厳しい規則が存在する家庭や下宿、寮で決められていることが多い。理由として夜間の外出を禁止し、夜の問題がある場所に行かせないための措置である。ただし今日ではグローバル・ポジショニング・システムが普及し、未成年の所在を把握することは(近代期や昭和期に比べて)容易になっている(詳細は「グローバル・ポジショニング・システム#様々な用途」内の「防犯」参照)。学校に限っては、防犯上の理由である[4]。
門限を守らないことを門限破りと呼ぶ。
青少年保護育成条例では、理由のない青少年(18歳未満の者)単独の外出禁止、映画館、ボウリング場、ゲームセンター、カラオケボックス、インターネットカフェ、漫画喫茶等への、青少年の深夜(概ね23時 - 4時まで)の出入り禁止について規定している。
分類
- 宿泊施設
- ホテルなどの宿泊施設において、深夜のフロント業務を停止する場合、フロント業務停止前にチェックインすることを客に求める時間の期限を「門限」と表記する場合がある。
- 空港
- 空港によっては、24時間対応するだけの需要がない、あるいは内陸地に所在する故の騒音など周辺環境への影響などを理由に、夜間の空港運用、あるいは離着陸を規制していることがあり、こうした制限はカーフュー(英: curfew)[5]、あるいは「門限」[6]と呼ばれる。具体例を挙げると、大阪国際空港(伊丹空港)は運用時間が7時から21時となっており[7]、当該時間外での離着陸はできない[6]。一方、成田国際空港では運用時間自体は24時間となっているが、航空機の離着陸は6時から23時に限定されており[8]、23時から6時までの離着陸は遭難や安全上の理由、急病人など生命の危険がある緊急時、あるいは成田空港での異常気象時に限定されていたが、2013年3月31日からは航空会社の責任でない、出発地側での遅延や玉突きでの遅延の場合にも、低騒音型の飛行機では23時台の離着陸を認めるようになった[9]。また、福岡県の福岡空港の運用時間の設定が22時までになっているため、22時を過ぎての着陸が可能な北九州空港に代替着陸することがある。
門限にまつわる事件
脚注
関連項目