長尾 一勝(ながお かずかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。神戸氏、後に福島正則の家臣。福島家三家老の一人と称された。
生涯
天文19年(1550年)、神戸四百八十人衆の一人・山路正幽の子として誕生。伊勢国河曲郡出身で、父・正幽と共に伊勢の国人領主・神戸具盛に仕えて、伊勢高岡城主となった。
その後、浪人して福島正則に仕えた。天正18年(1590年)の小田原征伐では、正則の家臣として出陣し、北条氏規が籠もる韮山城攻めで城壁に3度よじ登り城内から3度突き落とされて負傷した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、福島正則が安芸国に入ると、備後国東城五品嶽城主となった。慶長19年(1614年)から始まる大坂の陣でも活躍した。