長世吉

長世吉

長 世吉(ちょう つぎよし、1884年明治17年)2月12日[1] - 1963年昭和38年)10月8日[2])は、貴族院書記官長貴族院勅選議員

経歴

大分県出身。父は漢学者で書家の長三洲、兄は歴史学者の長寿吉1914年大正3年)に京都帝国大学法科大学政治科を卒業した[1]京都府属、同久世郡長を経て、貴族院書記官となり、内務参事官法制局参事官、臨時議院建築局事務官、同書記官大蔵省営繕管財局書記官を兼ねた[2]。貴族院庶務課長を経て、1931年(昭和6年)に貴族院書記官長に就任し、営繕管財局参与も兼ねた[3]

退官後の1938年(昭和13年)4月2日に貴族院議員に勅選され[4]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。墓所は多磨霊園[5]

栄典

脚注

  1. ^ a b 大衆人事録 1930.
  2. ^ a b c 議会制度百年史 1990, 139頁.
  3. ^ 人事興信録 第12版 1939.
  4. ^ 『官報』第3373号、昭和13年4月4日。
  5. ^ 長 世吉”. www6.plala.or.jp. 2024年12月1日閲覧。
  6. ^ 『官報』・付録 1941年11月21日 辞令二

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。 
公職
先代
成瀬達
日本の旗 貴族院書記官長
1931年 - 1938年
次代
瀬古保次

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