金正濂

金 正濂(きん せいれん、キム・ジョンニョム、キム・ジョンヨム、朝鮮語: 김정렴 / 김정염[1]1924年1月3日 - 2020年4月25日[2])は、大韓民国政治家本貫慶州金氏[3]。日本名は玉井 正人(たまい まさと)[4]

生涯

もともと小樽高等商業学校(のちの小樽商科大学)志望だったが果たせず[5]、1944年に大分経済専門学校(のちの大分大学)を卒業し、朝鮮銀行に入行した[6][4]クラーク大学大学院を卒業し、経済学の修士号を取得[7]第二次世界大戦後は財務部次官(1962年-1963年)[8]、商工部次官(1964年-1966年)[9]、財務部長官(1966年)[8]、商工部長官(1967年-1969年)[9]、大統領秘書室長(1969年-1978年)[10]駐日大使(1979年-1980年)[7][11][12]を歴任。セマウル運動山林緑化通貨改革に関与した[11]

親族

政治家の金鍾仁は姪の夫[13]

著書

  • 『嗚呼、朴正熙(金正濂政治回顧録)』中央M&A 1997年
  • 『韓国経済政策30年史:金正濂回顧録』中央日報社 1991年
  • 『韓国経済の発展 「漢江の奇跡」と朴大統領』(日本語)サイマル出版会 1991年

注釈

  1. ^ 조선 뉴스 라이브러리 100 - 조선닷컴” (朝鮮語). 조선 뉴스 라이브러리 100 - 조선닷컴. 2022年6月20日閲覧。
  2. ^ “역대최장수 靑비서실장 김정렴 별세…박정희정부 고도성장 기틀” (韓国語). 聯合ニュース. (2020年4月26日). https://www.yna.co.kr/view/AKR20200426034700001 2020年4月27日閲覧。 
  3. ^ (4)경주 김씨(慶州金氏)-1,736,798명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月5日). 2022年8月16日閲覧。
  4. ^ a b 중앙은행 오디세이 <24> 해방 공간의 남북한 금융 엘리트들-‘자치위원회’ 이끌던 구용서, 조선은행 실세로 떠올라韓国銀行
  5. ^ 受験旬報 10(13) 雑誌 欧文社 [編] (欧文社, 1940-07)
  6. ^ 「青瓦台の懐刀――新駐日大使金正濂 」月刊朝鮮資料 19(4)(215) 雑誌 (朝鮮問題研究所, 1979-04)
  7. ^ a b 김정렴씨 '최빈국에서 선진국 문턱까지'” (朝鮮語). n.news.naver.com (2006年8月17日). 2022年6月20日閲覧。
  8. ^ a b 중앙행정기관 변천연혁정보 | 재무부 - 국가기록원 나라기록포털
  9. ^ a b 중앙행정기관 변천연혁정보 | 상공부 - 국가기록원 나라기록포털
  10. ^ 중앙행정기관 변천연혁정보 | 대통령비서실 - 국가기록원 나라기록포털
  11. ^ a b Fusion Power - 대중경제문화지 '헤럴드경제'
  12. ^ Fusion Power - 대중경제문화지 '헤럴드경제'
  13. ^ 김종인, ‘박정희 최측근’의 인척… 깐깐한 강골” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2012年10月29日). 2023年9月23日閲覧。


公職
先代
李厚洛
大韓民国の旗 大韓民国大統領秘書室長
1969 - 1978
次代
金桂元
先代
朴忠勳
大韓民国の旗 大韓民国商工部長官
1967 - 1969
次代
李洛善
先代
徐奉均
大韓民国の旗 大韓民国財務部長官
1966
次代
金鶴烈
外交職
先代
金永善
大韓民国の旗 駐日大韓民国大使
第6代:1979 - 1980
次代
崔慶祿

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