金子 定一(かねこ ていいち、1885年(明治18年)6月3日[1] - 1960年(昭和35年)4月30日[2])は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。衆議院議員(1期)。
経歴
岩手県盛岡市出身[3]。1907年に陸軍士官学校(19期)[1][2]を、1915年に陸軍大学校(27期)を卒業する[1][2]。第八師団、支那駐屯軍などの各参謀[2][3]、参謀本部員[2][3]、金沢連隊区司令官[1][3]、陸軍大学校教官などを歴任し[3]、1936年に陸軍少将に累進し、予備役となる[1]。予備役編入後は満州国中央警察学校講師[2]、新京実務学院、同女子実務学院各校長[2]、満州国蒙政部嘱託、同協和会中央委員となる[3]。1942年の翼賛選挙では岩手2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した。
戦後、推薦議員のため公職追放となった[4]。
栄典
- 位階
- 勲章等
- 外国勲章佩用允許
伝記
- 小野寺永幸『東アジア風雲の明星秘録・金子定一の生涯:五族共和を目指して』東北史学研究所、2009年。
著作
脚注
参考文献
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。