都賀 庭鐘(つが ていしょう、1718年(享保3年)- 1794年(寛政6年)か)は、江戸時代中期の読本作家・儒学者・医師。字は公声、通称は六蔵。別号は大江漁人・近路行者・十千閣主人・近江行者・千里浪子など。
人物
大坂生まれ。享保末年頃に京都に遊学し、新興蒙所に書と篆刻を学び、香川修庵に医学を学ぶ。漢学や唐話学の師は不明。茶道・香道にも通じ、大枝流芳と親しく交わった。1736年~1747年の間に、読本三部作『英草紙』『繁野話』『莠句冊』の原稿30編を綴る。26歳頃に医師として開業したか。1794年(寛政6年)刊『北華通情』に序文を寄せているが、1806年(文化3年)刊の読本『義経盤石伝』は遺著として公刊されているため、この間に没したものと推定される。庭鐘は上田秋成の医学・文学の師と推定される。
庭鐘は白話小説を愛好し、校合や出典考といった白話小説研究、白話小説の翻訳(訓訳・通俗訳)、白話小説の翻案といった著作を数多く残した。庭鐘の作品は、曲亭馬琴や小枝繁といった同時代の作家にも影響を与えた。
後藤丹治は佐々木味津三の『右門捕物帳』「謎の八卦見」(1928年8月)が『英草紙』「白水翁が売卜直言奇を示す話」を換骨奪胎したものと指摘した。
著作
著作
和刻
関連項目
脚注
出典