近衛 千代子(このえ ちよこ、1896年〈明治29年〉1月11日 - 1980年〈昭和55年〉9月15日[1])は、昭和戦前期の政治家・近衛文麿の妻。子爵毛利高範の次女で、母は子爵井伊直安の養女(井伊直咸の娘)・賢子[2]。
生涯
学習院女子部卒業。千代子は戦前からゴルフを好む活発な女性で、自宅に侵入した強盗に説教する男勝りな一面もあった。文麿とは恋愛結婚[3]で、文隆、昭子、温子(細川護貞夫人)、通隆の二男二女をもうけた[4]。
1945年(昭和20年)の文麿自殺後も、荻外荘を守りつつ、84歳で死去した。
脚注
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.606
- ^ 「日本女性人名事典」(日本図書センター)
- ^ 文麿が電車の中で千代子に一目ぼれした。
- ^ 「「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇」(竹内正浩、実業之日本社、2017年)