近藤 いね子 (こんどう いねこ、1911年 4月25日 - 2008年 11月13日 [ 1] )は、日本の英文学者 。津田塾大学 名誉教授。旧姓は佐藤 いね子 [ 2] 。
経歴
神奈川県 中郡 秦野町 (現:秦野市 曽屋 )出身。父親は第2代秦野町長を務めた佐藤政吉 [ 3] 。1944年に近藤正夫 (物理学者、学習院大学教授)[ 4] と結婚し、1950年に一女をもうける[ 5] 。
1924年、東京女子高等師範学校付属高等女学校入学[ 3] 。1929年、女子英字塾本科入学[ 3] 。1932年東北帝国大学 英文科に入学し、1935年卒業、文学士[ 3] 。1937年ケンブリッジ大学 大学院に入学し、1939年に修了、Master of Letters[ 3] 。帰国後の1941年夏目漱石 『こゝろ 』を英訳、翌42年にその功績により、第11回岡倉賞 を受賞[ 6] 。
1943年まで東京女子高等師範学校 助教授を務めた[ 7] 。その後、1948年からは津田塾大学教授を務め、1973年定年退職、津田塾大学名誉教授。退職後も活水女子短期大学 教授を務めるなど、英語教育と研究活動に従事した。1975年紺綬褒章を受章[ 3] 。
1952年には、東京文理科大学 にて日本人女性としては初めて文学博士 の学位を取得した(博士論文題目「Jane Austen : the development of her art」[ 8] )。
ジェイン・オースティン 、ヴァージニア・ウルフ など英国女性作家を研究した。日本の女性学者のさきがけの一人。
2008年、肺炎 のため97歳で死去[ 1] [ 5] 。
著書
『イギリス小説論』(研究者出版 ) 1952
『英国小説と女流作家 オースティンとウルフ』(研究社選書) 1955
共編
翻訳
日本語訳
英訳
脚注
^ a b 「近藤いね子さん死去」『朝日新聞』2008年11月15日、39面。
^ 徳永光展「<日本から世界へ、世界から日本へ>27 夏目漱石『心』における英訳の変遷」『世界の日本研究』第2017巻、国際日本文化研究センター、2017年5月30日、307 - 321頁、doi :10.15055/00006669 、ISBN 9784901558884 。
^ a b c d e f 『だいやす文庫目録』秦野市立図書館、1995年。
^ 「新人国記 '81 神奈川 (10) がんばる女流学者」『朝日新聞』1981年11月13日、夕刊、3版、1面。
^ a b “Obituary of Ms Ineko Rachel (Sato) MLitt (1937) ”. The Cambridge & Oxford Society, Tokyo (2014年5月16日). 2020年3月8日 閲覧。
^ 遠藤 智夫「「岡倉賞」・「岡倉英語教育賞」受賞者および岡倉由三郎追悼記事」『英学史研究』第37号、2005年、47-62頁、doi :10.5024/jeigakushi.2005.47 、ISSN 0386-9490 。
^ 近藤いね子「フォースターやウルフの作品にケムブリッジで初めて出会って(第I部: 日本におけるウルフ ― 現在までの道程)」『ヴァージニア・ウルフ研究』第20巻、2003年、69-70頁、doi :10.20762/woolfreview.20.0_69 。
^ 近藤いね子『Jane Austen : the development of her art』東京教育大学、1952年。 NAID 500000491219 。
^ 復刻版「オースティン著作集2」文泉堂出版 1996