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辛垣城

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辛垣城
東京都
辛垣城遠景
辛垣城遠景
別名 西城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 三田綱秀
築城年 永禄年間(1558年1570年)初期
主な城主 三田綱秀
廃城年 永禄4年(1561年)〜永禄6年(1563年
遺構 空堀、土塁
指定文化財 青梅市指定史跡[1]
位置 北緯35度48分42.47秒 東経139度13分13.52秒 / 北緯35.8117972度 東経139.2204222度 / 35.8117972; 139.2204222
地図
辛垣城の位置(多摩地域内)
辛垣城
辛垣城
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辛垣城(からかいじょう)は、東京都青梅市にあった日本の城。青梅市指定史跡[1]

概要

三田氏により築かれた山城。上杉謙信の関東侵攻後後北条氏を離れ上杉方に付いた三田氏がその峻険な地形を頼んで拠り、名族三田氏の終焉の地となった。

歴史・沿革

  • 永禄年間初期、三田綱秀によって築かれた。ただし、永禄年間以前より存在したという説もある。
  • 永禄3年(1560年)の上杉謙信関東出兵後、城主の綱秀は後北条氏を離れ上杉方に付いた。
  • 永禄4年(1561年)の上杉氏撤兵後、後北条氏と対立した綱秀が勝沼城から居を移した。
  • 永禄4年(1561年)〜永禄6年(1563年)頃、北条氏照に攻められ落城した(辛垣の戦い)。

構造

雷電山から延びる尾根上に聳える、独立性の高い円錐形様の辛垣山山頂付近に郭を重ねる。北方を除く三方の尾根上には郭が認められ、特に南に延びる尾根上には馬洗い場と呼ばれる比較的大きな郭が設けられている。

考古資料

遺構

山頂付近に郭、空堀、土塁、縦堀等の遺構が残るが、江戸期以降採石場として利用されたため、一部遺構は旧態を失っている。

観光

アクセス

周辺

脚注

参考文献

  • 『資料青梅市の中世城館跡』青梅市教育委員会 1990年

関連項目

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