豊野 出雲(とよの の いずも)は、奈良時代の皇族・貴族。始め出雲王を名乗るが臣籍降下して豊野真人姓となる。知太政官事・鈴鹿王の子。官位は従四位下・大宰大弐。
経歴
孝謙朝の天平感宝元年(749年)三世王の蔭位により無位から従五位下に直叙される。天平宝字元年(757年)豊野真人姓を与えられ臣籍降下する。
淳仁朝に入り、天平宝字3年(759年)従五位上・少納言に叙任されるが、天平宝字5年(761年)安芸守に任ぜられ地方官に転じる。
天平神護元年(765年)称徳天皇の紀伊国行幸に際して装束司次官を勤める。天平神護2年(766年)正五位下・北陸道巡察使に叙任し、のち右中弁も兼ねる。神護景雲2年(768年)3月には北陸道巡察使として、佐渡国分寺の造営料の稲1万束が越後国から支出されており輸送に負荷がかかっているため、佐渡国の田租から充当するよう言上し許可されている[1]。
神護景雲4年(770年)称徳天皇の崩御後まもなく、従四位下・大宰大弐に叙任される。宝亀8年(777年)4月26日卒去。最終官位は散位従四位下。
官歴
『続日本紀』の記載に従う。
脚注
参考文献